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「穴門なかと」の位置。

 投稿者:chikara  投稿日:2017年10月11日(水)20時36分2秒
返信・引用
  「穴門ナカト」の位置。
12代住職「大汐」が孫に大穴が本堂の場所にあったと10代から聞いたことを伝えている。
「石見誌」編著 天津亘 (加茂神社の神主の末裔)。初版1925 復刻版1973
「行基図」を加茂神社でもっていたことになる。
古代には「古市場」の地名が無かった。「なかと・穴門」だけ存在。「たたら製鉄」の「かんな流し」の穴・遺跡であった。行基上人や柿本人麻呂がここで・この穴で楮をもとに紙漉きをした。阿波忌部族の大麻比古に紙漉きの技を伝授。古事記、日本書紀、万葉集、出雲風土記を執筆した穴。また、この穴で瓦も焼かれたものと推測する。
 
 

「穴門」読みanato

 投稿者:chikara  投稿日:2017年10月11日(水)19時49分30秒
返信・引用
  ファイル1三保村誌の禮光寺の歴代住職。
ファイル2寺の位置。
 

河瀬文庫はおもしろい

 投稿者:chikara  投稿日:2017年10月 9日(月)17時52分15秒
返信・引用
  *河瀬文庫14―1「掘り出された中世の安芸・備後」港町・城館・市・集落 広島県立歴史民俗資料館1997
*河瀬文庫「川船カワブネ」広島市郷土資料館資料解説書 第12集 広島市郷土資料館 広島市教育委員会1997
*河瀬文庫2「公開シンポジウム 中世瀬戸内の流通と交流」 資料集会場 広島県立歴史博物館2004
*河瀬文庫「アジアの古代文明を探る」歴史と水の流れ 編集 第9回「大学と科学」公開シンポジウム組織委員会 クバプロ1995
*河瀬文庫596-2「季刊 考古学第8号」古代日本の鉄を科学する 編集人 芳賀章内 雄山閣出版1984
*河瀬文庫618-2「季刊 考古学第30号」縄文土偶の世界 編集人 芳賀章内 雄山閣出版1980 P85~88「官営の瓦工房跡」京都府上人ケ平ジョウニンガヒラ遺跡 杉原和雄。
*河瀬文庫83「季刊 考古学第76号」古代の武器・武具・馬具  編集人 宮島了誠 雄山閣出版2001
*河瀬文庫362「大板山たたら製鉄遺跡」保存整備計画策定報告書 山口県指定史跡 福栄村1992
*河瀬文庫445「神々の源流」出雲・石見・隠岐の弥生文化 大阪府立弥生文化博物館2000
*河瀬文庫139-4「広島ゆかりの武具甲冑展」企画展目録 広島城1994
*河瀬文庫170-8「日本の武具名宝展」特別展目録 広島城1996
*河瀬文庫452「戦国時代の刀工展」 図録戦国歴史資料特別展示 広島城1997
*河瀬文庫247-10「新刀・新々刀名品展」くろがねの美 広島城1998
*河瀬文庫「礼文町船泊遺跡平成10年陸上自衛隊公務員官舎の新設に伴う埋蔵文化財の発掘調査報告」北海道礼文町教育委員会1999
*河瀬文庫「史学研究記念論叢」中世村落における農民と地侍 廣島文理科大學史學科教室 柳原書店1950
*「南北朝石見軍記」著 山田木母(本名 山田吉太郎・江津市) 石見歴史保存会 江津市柳田公民館内 栄光出版社1976
*河瀬文庫「埋葬文化財調査センター年報Ⅱ」島根県1994
*河瀬文庫「埋葬文化財調査センター年報Ⅴ」島根県1997
*河瀬文庫「埋葬文化財調査センター年報Ⅵ」島根県1998
*河瀬文庫「埋葬文化財調査センター年報Ⅶ」島根県1999
*河瀬文庫「埋葬文化財調査センター年報Ⅷ」島根県2000
*河瀬文庫「埋葬文化財調査センター年報Ⅸ」島根県2001
*河瀬文庫「埋葬文化財調査センター年報Ⅹ」島根県2002
*河瀬文庫「埋葬文化財調査センター年報11」島根県2003
*河瀬文庫「埋葬文化財調査センター年報12」島根県2004
*河瀬文庫「埋葬文化財調査センター年報13」島根県2005
*河瀬文庫「埋葬文化財調査センター年報14」島根県2006
 

河瀬文庫はおもしろい

 投稿者:chikara  投稿日:2017年10月 9日(月)17時24分51秒
返信・引用
  *河瀬文庫135-2「筑波大学先史学・考古学研究 第4号」岩崎卓也先生退官記念号 編 筑波大学 先史学・考古学研究編集委員会 発行 筑波大学 歴史・人類学系1993
*河瀬文庫967「筑波大学先史学・考古学研究 第5号」編 筑波大学 先史学・考古学研究編集委員会 発行 筑波大学 歴史・人類学系1994
*河瀬文庫2022「筑波大学先史学・考古学研究 第6号」編 筑波大学 先史学・考古学研究編集委員会 発行 筑波大学 歴史・人類学系1995
*河瀬文庫1317「筑波大学先史学・考古学研究 第7号」西野元先生退官記念号 編 筑波大学 先史学・考古学研究編集委員会 発行 筑波大学 歴史・人類学系1996
*河瀬文庫2023「筑波大学先史学・考古学研究 第8号」編 筑波大学 先史学・考古学研究編集委員会 発行 筑波大学 歴史・人類学系1997
*河瀬文庫2024「筑波大学先史学・考古学研究 第9号」編 筑波大学 先史学・考古学研究編集委員会 発行 筑波大学 歴史・人類学系1998
*河瀬文庫2025「筑波大学先史学・考古学研究 第10号」編 筑波大学 先史学・考古学研究編集委員会 発行 筑波大学 歴史・人類学系1999
*河瀬文庫2026「筑波大学先史学・考古学研究 第11号」編 筑波大学 先史学・考古学研究編集委員会 発行 筑波大学 歴史・人類学系2000
*河瀬文庫2027「筑波大学先史学・考古学研究 第12号」編 筑波大学 先史学・考古学研究編集委員会 発行 筑波大学 歴史・人類学系2001
*河瀬文庫2028「筑波大学先史学・考古学研究 第13号」編 筑波大学 先史学・考古学研究編集委員会 発行 筑波大学 歴史・人類学系2002
*河瀬文庫2029「筑波大学先史学・考古学研究 第14号」編 筑波大学 先史学・考古学研究編集委員会 発行 筑波大学 歴史・人類学系2003
 

河瀬文庫はおもしろい

 投稿者:chikara  投稿日:2017年10月 9日(月)17時10分37秒
返信・引用
  *河瀬文庫1679「島根県柿木村大字大野原・向津原遺跡発掘調査報告書 第3次」柿木村1996
*河瀬文庫2437「広島県古代史文献総目録」編輯発行人 豊元国 吉岡郁夫1970
*河瀬文庫46-1「広島県古文書目録」広島県文化財資料シリーズ 第1 広島県教育委員会1954
*河瀬文庫「広島県古文書目録続編」広島県文化財資料シリーズ 第5 広島県教育委員会1963
**河瀬文庫59「京都・古代との出会い京都府埋蔵文化財調査研究センター10周年記念特別展」京都府埋蔵文化財調査研究センター1990
*河瀬文庫122-1「日本考古学協会1990年度大会発表資料集1990年11月10・11・12日,於九州大学講堂」日本考古学協会1990
*河瀬文庫1427-10「地誌研年報 5」地誌学の問題点 エリアスタディとの関連において 広島大学総合地誌研究資料センター1996
*河瀬文庫688-37「校刻日本外史 著 頼山陽」 明治四十三年再販 著 頼久太郎 校 保岡元吉 翻刻発行 岡本偉業館・石塚松雲堂1910
*河瀬文庫「日本外史字典」著 高橋喜八郎 翻刻発行 岡本偉業館・石塚松雲堂1910
*河瀬文庫2461「最古の人類と文化」岩波講座生物学〔人類学〕 著 松村瞭 赤堀英三1930
*河瀬文庫2460「皇陵」岩波講座日本歴史 著 和田軍一1934
*河瀬文庫「日本書紀 上 卜部書」日本古典文学大系 67 校注者 坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋1967
*河瀬文庫「日本書紀 下 卜部書」日本古典文学大系 68 校注者 坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋1965
*河瀬文庫「古代出雲の医薬と鳥人」著 真壁葭子まかべよしこ 学生社1999
*河瀬文庫501「日本史図表」年表・地図・資料 監修 福尾猛市郎 編著 大久保光  第一学習社1968
*河瀬文庫「古代刀と鉄の科学」考古学選書39 著 石井昌國いしいまさくに / 佐々木稔ささきみのる 雄山閣出版1995
*河瀬文庫ファイル「奥出雲」横田史談会 213,214,215,266,267,268,269,270,280,282,283 1998年10月まで
*河瀬文庫ファイル「島根考古だより」53~78 2003年8月まで
*河瀬文庫「ふる里の民具」積雪地帯の民具神戸川上流地域 監修 勝部正郊 執筆・編集 今田昭二 編纂 頓原町誌編纂室 撮影 山本写真スタジオDTP うるしダニ事務所 建設省中国地方建設局 島根県頓原町1999
*河瀬文庫463「備後北部の文化財」よみがえるふるさとの歴史 広島県立歴史民俗資料館1991
*河瀬文庫「広島県立歴史民俗資料館展示図録」広島県立歴史民俗資料館1979
*河瀬文庫175-8「最古の狩人を求めて中国山地と三次の旧石器文化広島県立歴史民俗資料館2007
*河瀬文庫171-8「弥生のかたち」土器が語る弥生時代の広島 広島県立歴史民俗資料館1995
*河瀬文庫「古代の炎と器」す・え・きインひろしま 平成8年度考古企画展 広島県立歴史民俗資料館1996
 

邑南町図書館の河瀬文庫

 投稿者:chikara  投稿日:2017年10月 9日(月)14時26分13秒
返信・引用
  *河瀬文庫0114「オリエント  第20巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1977
*河瀬文庫1354「オリエント 第20巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1977
*河瀬文庫0115「オリエント総目録」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1977
*河瀬文庫1355「オリエント 第21巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1978 P13~23メソポタミアの土偶。
*河瀬文庫0116「オリエント第21巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1978
*河瀬文庫1357「オリエント 第22巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1979
*河瀬文庫778-4「オリエント 第22巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1979
*河瀬文庫1358「オリエント 第23巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1980
*河瀬文庫1360「オリエント 第23巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1980
*河瀬文庫1361「第23巻 附録 資料室所蔵欧文雑誌目録 Ⅷ」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1980
*河瀬文庫0117「オリエント 第24巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1981
*河瀬文庫780-4「オリエント 第24巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1981
*河瀬文庫781-4「オリエント 第25巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1982
*河瀬文庫782-4「オリエント 第25巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1982
*河瀬文庫783-4「オリエント 第26巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1983
*河瀬文庫784-4「オリエント 第26巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1983
*河瀬文庫785-4「オリエント 第27巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1984
*河瀬文庫786-4「オリエント 第27巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1984
*河瀬文庫788-4「オリエント 第28巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1986
*河瀬文庫1362「オリエント  第28巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1984
*河瀬文庫0118 「オリエント 第29巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1986
*河瀬文庫1364 「オリエント 第29巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1986
*河瀬文庫789-4「オリエント 第30巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1987
*河瀬文庫790-4「オリエント 第30巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1987
*河瀬文庫791-4「オリエント 第30巻別巻総目録」発行 社団法人日本オリエント学会1987
*河瀬文庫792-4「オリエント 第31巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1988
*河瀬文庫793-4「オリエント 第31巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1988
*河瀬文庫794-4「オリエント 第32巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1989
*河瀬文庫1365「オリエント 第32巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1989
 

「秋祭り」考

 投稿者:chikara  投稿日:2017年10月 9日(月)11時28分4秒
返信・引用
   秋祭りとは、古代からの行事。“本年の実りを神に感謝し、新米を神と共に食らう”。
人々も穢(けが)れをなくし、身も心も神と一体となる。酒を喰らい体を舞わせ神と酔いしげる。
嘗(な)めの祭りである。この代表が伊勢神宮の嘗めの祭り・「神嘗祭」(かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり)は宮中祭祀のひとつ。大祭。五穀豊穣の感謝祭にあたり、宮中および神宮で儀式が行われる。また、祝祭日の一つで、秋の季語でもある。10月の15日、16日、17日。一昔は、11月に行われていた。今でも東北地域では11月に行われている。
*「日本人の信仰心」著 前田英樹2010 “暦について。嘗めの祭りと11月祭の意義”。をといている。
浜田市立三隅図書館蔵書。前田英樹氏は、フランス文学(小説)等の翻訳が専門だとか。
 

「舞」の研究

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 9月14日(木)23時08分33秒
返信・引用
   石見神楽の画像で私的に最上位に位置づけするなら、ユーチューブの「キャノン 石見神楽」の2点を上げる。

 残念ながら、研究者もみんな亡くなられてしまった。石見神楽:藤井宗雄(江戸・明治)、矢富熊一郎、竹内幸夫 各故人。芸北神楽:佐々木順三、「美しい村」の牛尾三千夫、各故人。明治期に八調子とオロチの「ちょうちん」が開発されて「神祇」から「ショー」となってしまった。ヤマタノオロチも出雲に取られてしまったまま。

 実際は「江の川」。「鬼」も 神の上席でありながら、吉備人の勘違いから鬼退治(悪の代名詞に)されている。折口信夫博士は「大人」オニとしている。私が言いたいのは、「オオ」と読みたい。三隅の大麻山に住んでいた「鬼刀禰・オオトネ」が最初の天皇である。古事記に三本足の「八咫烏」と書かれて、虐げられた。「鬼」の文字の足の部分が三本だからである。いつも木炭をつくり、手も足も衣服、顔も真っ黒だった為、烏と表記された。身長が八尺で145Cmくらいの人々だった。
 

中世益田氏の飛び地

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 9月12日(火)23時16分53秒
返信・引用
   中世「益田氏」第19代当主の藤兼の時代。九州・東アジアの交易の拠点「博多」地区に飛び地をもっていた。筑前国 原・筵田エンダ郷である。三隅氏滅亡により津丸・久松も領有、現在の福間町。同じ頃、長門国・見島(三島)も領有していた。このことは、広島大学の岸田裕之氏が「1993年芸備地方史研究185号」で論説されている。参考文献・資料は東京大学史料編纂所所蔵の「益田文書」よる。「藤兼」は大内・陶の家臣であったが、吉川元春に接近し娘を嫁にとり、毛利元就・輝元の家臣となり、奉行として仕えた。

*「1993年芸備地方史研究185号」は益田市立図書館と邑南町立図書館所蔵。
 

津和野の石州半紙・和紙の原点を探る⑦

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 9月 6日(水)11時08分34秒
返信・引用
  「中内右馬充通治」ちゅうない・うまのじょうつうじ ― 後半は役職。

「萩藩閥閲録 第一巻」編修者 山口県文書館 マツノ書店1995
P485 兒玉三郎右衛門 50文書。
周防波野村之内というもので[天正]時代で「中内與八・ちゅうないよはち」の名が記載。時代も永禄の次の「天正」だから、毛利輝元の家臣の兒玉三郎右衛門がこの地区・山代を支配し、中内與八が家来。中内輿左衛門が父親かもしれない。
「防長造紙史研究」では、輿左衛門や與八を「庄屋」としているが毛利家の家臣。
 

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