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宇宙からの導線と人間界への報復④

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 6月21日(水)15時03分41秒
返信・引用
  平成4年の事件。旧三隅町の建設課長「柳子」は前建設課長と娘婿の不正を内部告発するのではなく。法務局勤務の娘婿を呼びつけて、不正を強要した。内容は、私の土地の名義(滝見口の市営アパートの土地、対面の山林、田んぼ)を換え一部を除き島根県に県道用地として”2億円で売り飛ばす”事件をおこした。その金を当時の役場幹部で口止め料のかたちで山分けをしている。幹部とは町長三賀森、助役清谷、収入役古市、財政羽柴、本人建設柳子。
 
 

羽須美村誌下巻

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 6月 2日(金)13時29分36秒
返信・引用
  P644長州征伐の欄に明治政府の徴兵制度の青写真をみる。大久保利通によるものと聞く。慶応二年六月。抜粋。
 この地方から夫役に服する為に出征したのは大麻山対陣の頃であった。一人の勤務日数は十五日乃至二十日で交代した。”一番夫は戦いに参加せず、二番夫三番夫と出掛けたが三番夫の出た時は浜田城落城の前であった。本村から毎回出役があった。”
 庄屋等の村役の選抜の方法は「明治政府の徴兵制度そのもの」出羽出身の者が大久保利通側近にいたのであろう。
 

詳細

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 4月29日(土)19時53分44秒
返信・引用
  「オリエント 第19巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1976  

河瀬文庫はおもしろい

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 4月29日(土)19時39分37秒
返信・引用
  邑南町図書館本館蔵書つづき
*河瀬文庫1156-8「史林 第43巻第1号」史学・地理学・考古学 史学研究会・京都大学文学部内1960
*河瀬文庫1157-8「史林 第43巻第5号」史学・地理学・考古学 史学研究会・京都大学文学部内1960
*河瀬文庫1158-8「史林 第45巻第2号」史学・地理学・考古学 史学研究会・京都大学文学部内1962
*河瀬文庫1159-8「史林 第45巻第6号」史学・地理学・考古学 史学研究会・京都大学文学部内1962
*河瀬文庫1160-8「史林 第46巻第2号」史学・地理学・考古学 史学研究会・京都大学文学部内1963
*河瀬文庫1161-8「史林 第47巻第5号」史学・地理学・考古学 史学研究会・京都大学文学部内1964
*河瀬文庫1162-8「史林 第49巻第6号」史学・地理学・考古学 史学研究会・京都大学文学部内1966
*河瀬文庫773-4「オリエント 第18巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1975
*河瀬文庫774-4「オリエント 第18巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1975
*河瀬文庫775-4「オリエント 第19巻第1号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1976
*河瀬文庫776-4「オリエント 第19巻第2号」編集 発行 社団法人日本オリエント学会1976
*河瀬文庫1023「たたら研究 第13号」南関東地方における古代鉄器及それ等の製造に関する研究 1 たたら研究会1966
*河瀬文庫1024「たたら研究 第19・20号」復元たたら炉による製鉄について たたら研究会1978
*河瀬文庫1025「たたら研究 第21号」古代東アジアの各種金属比価について わが国8世紀の鉄価を手掛りとして たたら研究会1977
*河瀬文庫1026「たたら研究 第22号」朝鮮・無文土器時代および原三国時代鉄器出土地地名表たたら研究会1978
*河瀬文庫1027「たたら研究 第24号古墳時代の斧形鋳鉄品 わが国古代の鋳鉄に関する史的研究 上 たたら研究会1981
*河瀬文庫1028「たたら研究 第25号」福岡県八熊製鉄遺跡:福岡県糸島郡志摩町西貝塚 たたら研究会1983
*河瀬文庫1297-14「たたら研究 第26号」鉄と貨幣  たたら研究会1984
*河瀬文庫1031「たたら研究 第28号」産業革命前夜のイギリス鉄産業とクエイカー たたら研究会1987
*河瀬文庫1032「たたら研究 第29号」東アジアの二種の鋳造鉄斧をめぐって たたら研究会1988
*河瀬文庫1033「たたら研究 第30号」擦文期北海道にもたらされた鉄の量とこれに関連する諸問題 アイヌ期との比較において たたら研究会1989
*河瀬文庫1034「たたら研究 第31号」古代東国に出現するシャフト炉の系譜 たたら研究会1990
*河瀬文庫「たたら研究 第32・33号」インドの製鉄史研究をめぐって たたら研究会1992
*河瀬文庫「たたら研究 第34号」「鳥取藩江戸回鉄御趣向」期間中における日野郡地元鉄山師の動向 たたら研究会1993
 

宇宙からの導線と人間界への報復③

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 4月18日(火)01時04分2秒
返信・引用
  「時効の亡霊」時効成立とともに「針のムシロに座る者」。
??勝人がまず原因をつくり、杖田が昭和57年5月4日から狂ったように不正を始めだした。本人はどう思っているのだろうか。「死んで地獄、生きて地獄」状態だと思う。そして子供たち(身内)も同じ。三賀森家でもまた同じ。滝見口の市営アパートで「村川」そして子供たち(身内)も同じ。市役所や法務局で私と応対した人。今の知事、県警本部長、浜田市長、法務大臣もまた同じ。「死んで地獄、生きて地獄」。「時効の亡霊」に死ぬまで思い踊らされるのである。
 

宇宙からの導線と人間界への報復②

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 4月17日(月)06時19分11秒
返信・引用 編集済
  小悪な二人。杖田、三賀森は昭和57年~平成4年の間で「栗栖(杖田の娘婿・法務局勤務)」を使い役場の土地台帳や法務局の登記簿の名義変更や土地番地の分筆や番号変更を繰り返し私の先祖代々の土地を売りとばしている。「ガンダの防護壁や町道」「滝見口の市営アパートの土地」総額で1億円以上。弁護士に相談するも「時効」というものがあって最長20年。弁護が出来ないという人ばかり。
叔父がポツリと言った、三賀森が2千万取ったという噂話があった。「栗栖」は死んどるでぇ。そういえば、平成17年2月19日死亡、ホテルハリモの初代社長は叔父にあたるのだが、その葬儀の時、県議に「清茂」の息子でぇ。その瞬間、県議の顔が真っ赤になった。県議はソ連・シベリア帰りで、父と同級生。父は益田警察署勤務で帰還した時大変お世話したらしい。米・食糧をもっていったようだ。三隅川鉄道橋が架かってない時代。それで、三隅開発は「清茂」の土地を中心に青写真を作成している。二人が恩を仇で返したことで
憤慨されたのであろう。その時「栗栖」が自殺したのであろう。県議は墓の中まで不正のことを黙ったままもっていった。だがしかし、「時効の亡霊」におどろされた馬鹿者がいる。栗栖自殺事件発生時の浜田警察署署長、島根県知事、島根県警察本部長、浜田法務局支局長、法務大臣の5名は法曹界の者ではないが、遵守する側でありながら、被害者の私に連絡してない。「時効の亡霊」が暴れまくる。詐欺の時効は7年でだまされた県や町は回収することはできない。土地登記簿操作は13年でまだ時効になってない。島根県と浜田市(三隅町)は訳1億円を支払う義務が発生したのである。あげく法定利息の5%を複利計算して支払わなければならないのになにもしていない。弁護士をつうじ「栗栖の自殺以降、事件詳細があきらかになった時点から5名の給与・報酬並びに退職金の回収を裁判所にお願いする予定。5%の法定利息も。私の家は昭和58年の水害で被災しているのに、火事場の大泥棒の二人とそれ以上の悪玉5人衆だ。「時効の亡霊」はまだまだ。5名は日本の道を歩くなと言いたい。
 

中山たたら遺跡・図書情報

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 4月16日(日)18時10分55秒
返信・引用
  ①中山鈩遺跡「中山たたら遺跡 緊急発掘調査報告」三隅町教育委員会1983
②「たたら研究 第27号」たたら研究会1985 P14~25たたら炉床構造の推移について―島根県内調査例から―杉原清一の中の⑮「中山鈩跡・遺跡」。
①は島根県立図書館と邑南町立図書館本館。
②は邑南町立図書館本館と広島大学図書館。
 

宇宙からの導線と人間界への報復①

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 4月16日(日)17時05分10秒
返信・引用 編集済
  遺跡の破壊。三隅町の幹部と県議会議長のしれかしたこと。地元住民にお金を落とした3名。三賀森町長、杖田建設課長、土田県議である。
その1「うしろえき」と呼ばれた鎌倉時代の元寇対策防御堤の150m。今は古湊湾岸道路になっている。
その2「天気予報の娘の声」が聞こえた中山たたら遺跡。「古事記」にも記載あり、弥生~古墳時代を調べる上で重要であったが、地域開発の名のもと破壊された。7世紀終わり頃オオクニヌシの命により青浦に派遣された海部(うみべ・漁師)こと若狭物部がこの大穴を占拠し1000年もの間、物部族の長(をさ)を務めた。近隣の物部族地区と出身。松原=越物部族。須津=能登物部族。土田=安濃物部族。高島も同じ。木部(大谷)も同じ。江津や三瓶山の麓の伝承(1300年間語り)。「海が大シケになる前に吹く風で娘の声が聞こえた」。貴布禰神社の主祭神。「淤迦美娘」古事記の記載「文字」。「おかみ」=「雨」カンムリに 「龍」と書いた。墨倹約の為、「雨」は「天」。「龍」は「神」となった。古事記、日本書紀、万葉集、出雲国風土記と使用された。…今遺跡の場所は「浜田市立岡見小学校」。
 

稲羽の素兎

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 4月 4日(火)02時59分17秒
返信・引用 編集済
  「古事記・稲羽の素兎」話は2部構成で 1. 兎の海を渡る話。
地 名=「氣多前」・ketamae = 出雲勢力の土地 =火山灰の降る怪しく変な地形が多い国のひとつの前まで。「和邇(わに)」= 鯨くじら・和邇族(第三の海人の作った)軍船。どこに、上 陸しようとしたか。 島根半島・中部の北で「鬼島」・鬼刀禰(おおとね)族・たたら製鉄の民。「大黒島」=大黒天(だいこくてん)=インドの攻撃の 神。上陸の寸前に「八」=出雲勢力のことで、人麻呂・得意の略字、八を書き。中に縦に棒線を引き、次ぎに二の字を書くと「出」、雲なんてめんどうだったの だろう。鬼刀禰なんてとんでもない。兎=兵 は日焼けした肌を切られてしまった。
2. 人麻呂・不比等・行基と小野族・鬼刀禰族・忌部族・関東の 蝦夷人で、出雲王朝を倒した話。大黒天が言った。水門(境水道)から真水へむかい(宍道湖から簸伊川の)蒲黄(ほおう)<葉や花粉を乾燥させると傷薬 となる。がまの三種のひとつ>をのぼりそこ(物部の本拠・一大率・大社)を倒しなさい。「稲羽」は季節のことで、(昔は平野いっぱいに米の実りがあった が、三瓶噴火により灰が降り注ぎ、日照不足で取れない。そこで物部たちは、東へ東へと勢力を延ばし、あるものは南へと、「氣(け)多(た)」とか「八氣 (やぎ)」あやしげな土地名)米の収穫に行った為、守りが手薄と知っていた。人麻呂も行基もこの地は初めてでない。 境水道入口付近。松江市美保関町に三 保神社(昔鯨が群れをなして現れその1頭が固まって島となったそうだ。また毎年正月に神社に鯨が参拝するそうだ)これが(水道・海中)鯨島である=人麻呂 のうわさ・昔話のたぐい。 唐の進駐軍が来たとき、徹底的にやりこめられる事を知っていた。
・実地調査 2014/09/26
*松江市役所美保関支所0852 55 5740のみなさま
* 松江市美保関町菅浦の漁師さんに聞いたところ「大黒島」おおぐしま、(「小黒島」こぐしま)、「鬼島」おにしま、と呼んでいる。また、昔ばなしとか 伝承とかもない。・・・・・・しかし、人麻呂が、話、教えた、事が、1300年後に文字として残っているのは、石見の巨人・おおひと伝説とあわせても おもしろい、すごい話である。
・島根県立図書館 蔵書
*「片江郷土誌」片江郷土誌編纂委員会1965 P10.11
*「大社町史」上巻 大社町史編集委員会1991 P32~36
*「出雲市誌」出雲市誌復刻刊行郷土誌刊行会 出雲市役所1951 P38
人 麻呂のつくった話で、三瓶山の爆発は西暦663年、いまも煙(灰)が上がるのが、確認できる。(いまと言うのは、人麻呂が赴任した西暦702~703年 頃)これに上記の「片江郷土誌」の「美保関灯台の風向き記録S33/04月~S37/03月までの風向きと風速毎秒6以上の風向き回数」統計表。「大社町 史」上巻で平成元年(1989)の月間天気日数表・大社、松江、松江気象台資料。「出雲市誌」のS16~25年の出雲市の日照時間と風向きおよび風速の 表。やはり、灰混じりの三瓶山噴煙は、簸川平野の米作をダメ(日照不足)にしている。出雲勢力である、物部族は、東(特に)へ、西へ、南へと領土を拡大 した。食料と唐・新羅への輸出品としての米確保は、絶対であった。ここで「古事記」の稲羽の兎の「稲羽」は季節を表し、一大率(将軍)のそばの家来も当 然、東国へ稲刈りに向かったはず。大黒天は攻撃の神様であるから、出雲大社は手薄(守りが薄い)、物部族を倒しなさい・倒れる。簸伊川の蒲黄を上り
攻撃すれば将軍が倒れるというはなし。物部倒しを「古事記」に入れとかなければと人麻呂も不比等とも、思ったに違いない。
 

伝承

 投稿者:chikara  投稿日:2017年 4月 4日(火)02時35分28秒
返信・引用
  1300年前、石見の国で人麻呂は、対 物部族戦略。
石見地方のむかし話で、巨人の伝説;柿本人麻呂・作で行基(ぎょうき)の協力でできたもの。わかった事。
①巨人=物部族=出雲一大率(将軍)勢=敵。
②どこらへんか・場所=山名で、しめす・名付け地の人に教える。
③物部・出雲勢力=「キーワード」をしめす・名付け地の人に教える。
④物部族の神 大山祇 神・命・尊・金子神 大山津見神 を祭る神社が近くに存在。
*①浜田市「折居海岸」 ②「大糞山(おおぐそやま)」(三隅町井野)「 ③「大神山(おおやま)」=大麻山 *井野にたたら製鉄の跡(大穴)があった。今在住の人に聞いたが分からない。④873 八幡宮 境内神社の一つ、三島神社 (井野村蛇山)・大山祇命
*①益田市「土田海岸」②「大神山(おおやま)」ふもと たたら製鉄跡の大きな穴・三隅町岡見) ③「唐音の蛇岩」④1066三剣神社(鎌手村金山)・大山祇命
「大穴」= 海に向いていてシケるまえに音が鳴る。風向きでなる。石見の国の海の関係者に感謝されたらしい。現存しない。*中山鈩(たたら)遺跡.・たたら製鉄の跡。*サヒメ言「足長土が土田海岸から高島へ渡のをみた。」
*①江津市「浅利海岸」 ②「どびん山」=室神山(みかみやま)または浅利富士(上津井の上畑神社~井田の大人おおひと・(江津市松川町)南に江の川。 ③「八神やかみ」・地名。④735上畑神社(松川村上津井)・大山祇尊
注・ 日本の黄金時代とは、古墳時代。この頃人口の2割は渡来人で、占めていた。たたら製鉄の人(鬼(おお)刀禰(とね)族)第一の海人で日本人のルーツ、出雲の物部族は第二の海人、人麻呂や僧・行基(和邇(わに)族)は第三の海人。
 中学の頃、歴史の時間に昔話を聞いた。おおおとこが大麻山と高城山をまたぎ糞をした。「大糞山」の位置=大麻山と漁山と高城山でどこからでも2つの山が見えるから、その間のやま=「大糞山」・・・・と人麻呂が話してまわった。
名付けたのは、学者の行基。玄武岩の山で、よく肥えた土地。動物の糞は肥料として使えることを8世紀初めに知る人。表示出来る人はこの人しかいない。
それなのに浜田市は「野山岳」と変更している。
「那賀郡史」大島幾太郎 昭和15年1940完成とある地図にも「大糞山」とある。
地質学の先生の本で「-石見・畳ヶ浦と黄長石霞石―」桑田龍三 昭和63年1988下記に・「この山だけが玄武岩でできている。この辺の他の山はほとんど花崗岩。・・・玄武岩の大きな露頭がみられる。ここと他に3ヶ所・萩の明神池・出雲の大根島・浜田の長浜台地が霞石(玄武岩)である」。という事は、物部族はすべてを知っている。大根島の「土」をひと握り持たせ探させ、入埴している。
〇花崗岩・かこうがん・・・たたら製鉄の材料。
 

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