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最後の最後の書き込み になる予定
駅に観察者Aがいるとする。そして等速運動で通過する
新幹線に観察者Bがいるとする。ここで観察者Aは
「この新幹線は絶対に動いている」と感じる。
外の景色を見ながら観察者Bは「動いているのはこの新幹線だが、
この新幹線が静止していて、景色や駅、地上等が動いていると思っても
不思議ではない」と思う。
そして目を閉じて考える。窓の風景を見なければ動いているか
どうかは分からない。
そしていつのまにか観察者Aの視点は無視され、観察者Bの視点
のみがクローズアップされてしまう。
「この新幹線が静止していて、景色や駅、
地上等が動いていると思ってもいいように感じる」という感想は、
「新幹線が静止していて、地上が動いている」にいつの間にか格上げ
されてしまったのである。
そして等速運動している新幹線を静止基準にして、地上が動いている
としてもいいということになり、これをお互いに変換してもいいことに
なってしまった。これがガリレイ変換である。「地球だって動いて
いるのだ。だったら、新幹線が静止していて地球が動いている
ことにしても構わない」としたのである。大阪から東京に行くのに、
新幹線はずっと静止していて、地球が動いて東京に着いたとしても
何ら不思議はない。としたのである。
しかし、これはおかしいのである。良く考えてみよう。新幹線は
加速、等速運動、減速をして東京に着いたのである。運転の仕方
次第では、加速と減速だけでも東京に来れるのだ。地球にこんな
真似は出来ない。慣性系限定の理論とはいえ、非慣性系の世界が
あって初めて新幹線は大阪から東京にやってこれるのである。
ガリレイの相対性原理は慣性系限定の理論と言いながら、
非慣性系の世界もこっそりと獲り入れているのである。
まさに矛盾だらけの原理である。
時速300kmで等速運動する新幹線の中でボールを下に落とす。
ボールは当然真っ直ぐ下に落ちる。しかしこれは新幹線の中に
いる観察者の視点であり、外から見た視点ではない。外から見た視点
では放物線を描いて落ちる。実は下に落とすと言っても、
時速300kmで新幹線は走っているのであるから、時速300kmでボールを
放り投げているのと同じである。観察者も時速300kmで走っているので
あるから、相対速度は0であり、真っ直ぐ下に落ちるように見えて
当然なのである。駅にいる観察者が新幹線の走る方向に時速300kmで
ボールを放り投げれば、物理の法則は全く同じであり、新幹線の
観察者は駅で投げられた時速300kmのボールが真っ直ぐ下に落ちる
のを見ることになる。ただし、実際には外は空気抵抗があるので、
真っ直ぐ落ちないが、空気抵抗がないとすれば
真っ直ぐ落ちるように見えるということである。
物理の法則は全く同じとはいえ、静止基準は地上でも新幹線でも
いいということにはならない。あくまでも静止基準は一つに
しなければならない。非慣性系がなければ大阪から東京に行く
ことは不可能である、新幹線を静止基準にすることは物理学的に
いって間違いなのである。
http://hwbb.gyao.ne.jp/cym10262-pg/fenomina.html
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