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宗務広報 No.1294

 投稿者:正宗批判を破す  投稿日:2017年 8月 6日(日)14時45分16秒
返信・引用
   覚命寺(北九州市小倉北区)、宗門へ返還

 本日、これまで正信会問題によって、昭和57年から不法占拠されていた本地山覚命寺が、35年ぶりに宗門へ返還されました。

 これは、同寺元住職であった秋田舟済が本年5月17日に死去したことによるもので、これを機に宗門へ返還されたものであります。

 なお、同寺は、今後、常照寺・上田道一師が兼務住職として職務を執行し、占有管理してまいります。
                                                                        以上


 
 

宮田幸一の宗祖本仏義否定の邪義を破す

 投稿者:正宗批判を破す  投稿日:2017年 7月31日(月)19時02分32秒
返信・引用
   宗祖本仏義を否定する宮田幸一(創価学会教学部顧問)の「釈尊本仏を採用す
るが、釈尊を本尊とはせず、創価学会では日興上人の本尊思想を継承し、法本
尊、曼荼羅本尊正意を主張する」という珍説を取り上げたが、宮田には次のよ
うな仰天発言もある。

「文字曼茶羅として大聖人は作りましたけれども、それを木像にするとか絵像
にするとかね、そういうことについてはご本人は言及していないと。

木像の方が寺院としてはいいんじゃないの、という人もいますけれど、それは
それで、ありだと思います。」

 つまり、宮田の個人的見解としては釈尊像を本尊としても「それはそれで、
あり」と認めるのである。

 そこで今回は、日興上人をはじめ上代諸師の御教示から、曼奈羅正意には宗
祖本仏義が拝せられることを示して、宮田の邪説を破折したいと思う。

 以前も述べたように、大聖人は妙法五字よりも劣る釈尊を本尊とすることを
不可とされ、「法華経の題目」の妙法曼茶羅を本尊と定められた。

 それは、大聖人が弟子檀越に百数十幅もの御本尊を授与されたことが物語っ
ており、また大聖人御
自身も妙法曼奈羅を安置されていたことから明らかである。

 そのことは、「八木三石送り給び候。今一乗 妙法蓮華経の御宝前に備へ奉
りて」(御書一三六三頁)

 「御円寂之時、件の曼茶羅を尋ね出され、懸け奉る事顕然也、勿論也」
(日蓮宗宗学全書第二巻二三五頁)等に拝せられる。

 また日興上人も「五人一同に云はく、本尊に於ては釈迦如来を崇め奉るべし
とて既に立てたり(中略)日興が云はく、聖人御立ての法門に於ては全く絵像木
像の仏菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て
本尊と為すべし、即ち自筆の本尊是なり」(御書一八七一頁)

 と示されており、現に、身延離山の根本主因が、地頭の釈尊像造立にあった
ことからも、日興上人が曼茶羅正意であったことは明白である。

 されば、前に挙げた宮田の発言は、宗開両祖の本尊義とは真逆の謗法義に他
ならない。また、この「自筆の本尊」とは、大聖人が「日蓮がたましひをすみ
にそめながしてかき」顕わされた、妙法大曼茶羅本尊であるから、大聖人の当
体即妙法五字、妙法五字即大聖人であり、人法は一体である。

 ゆえに日興上人は、大聖人の御入滅後は、特に曼祭羅本尊とともに宗祖御影
像をも御宝前に安置されたのであって、これは大聖人を末法有縁の本仏本尊と
拝されていた赫々たる証拠である。

 さらに言えば、日興上人より薫陶を受けられた上代の諸師にも次の教示があ
る。

 日道上人の『御伝土代』には「仏滅後二千二百三十余年が間一閻浮提之内未
曾有之大曼茶羅也、と図し給う御本尊に背く意は罪を無間に開く云云。何ぞ三
身即一の有縁の釈尊を欄きて強ちに一体修三の無常の仏陀を執せんや、既に本
尊の階級に迷う、全く末 法の導師に非ざるかな」(聖典六〇二頁)

 と、曼茶羅正意に反して釈尊像を造立することは堕獄必定の因とされ、大曼
茶羅即大聖人を「三身即一の有縁の釈尊」と表現されて宗祖本仏義を示されて
いる。

 また三位日順師は「未曾有の大曼茶羅・所在の釈迦多宝十方三世諸仏・上行
無辺行等普賢文殊等(中略)天台伝教等・別して本尊総体の日蓮聖人云云」(富
要第二巻二八頁)

「所図の本尊は聖人の己証なり」(同二九頁)と、大曼荼羅に認められた仏菩薩
等を挙げられて、それらは御本尊の全体である大聖人に具わり、大聖人が図す
ところの本尊は、大聖人が証得した法体である、と教示されている。

 このように、上代の諸師の教示には、日興上人と同様、曼茶羅正意と宗祖本
仏義が拝せられ、宮田の「釈尊本仏を採用するが、釈尊を本尊とはせず、曼茶
羅本尊を採用する」などという主張は、微塵たりとも"日興上人の本尊思想を
継承し"ていないことがわかる。

 これまでも小欄では、創価学会の本音たる宗祖本仏義の否定を正当化しよう
と画策する宮田の疑難を取り上げ、破折を加えてきたが、どれもこれも牽強付
会、浅見による取るに足らぬ妄説であった。

 それは当然、大聖人の御聖意にはほど遠い邪義である。学会員諸氏は、これ
から、過去に学会が「大謗法」と断じていた宗祖本仏義否定の邪義を信奉する
ことになるのだから、じつに哀れである。

 大聖人は「罪根深重の輩は邪推を以て人を軽しめ之を信ぜず」(御書七八八
頁)と仰せだが、まさに宮田のごとき罪根深重の輩に従えば、堕獄必定、功徳
に浴すことなど絶対にない。

 最後に改めて、末法救済の御本仏は釈尊ではなく日蓮大聖人であり、それは、
御書をはじめ日興上人以来の諸師の教示等に拝せられることを述べて、宮田の
邪義への破折を終えたい。


 

創価学会の悪宣伝にだまされないで!!

 投稿者:育成  投稿日:2017年 6月 8日(木)17時34分37秒
返信・引用
   四月二十八日、『創価学会の悪宣伝にだまされないで』が大日蓮出版より発
刊された。

 本書は、既刊の『創価学会員への折伏教本』(宗務院編纂)のなかの、「各論」
第六章の二十四から第七章の六までを抄録し、改題したものである。

 日蓮正宗に疑問を感じている人を折伏する上でよく聞かれる主張等に対して
破折を加えるとともに、法華講での信仰について解りやすく説明し、一日も早
く正法へ帰依すべきことを訴える内容となっている。

 体裁はB六判五六渥、定価は二〇六円(税込み・送料別)で、全国の書店でも
購入できるようになっている。

 申し込み、問い合わせは大日蓮出版まで。


 

立宗内証宜示報恩会

 投稿者:育成  投稿日:2017年 4月 1日(土)17時26分51秒
返信・引用
   三月二十八日、総本山の御影堂において、御法主日如上人猊下大導師のもと
立宗内証宣示報恩会が厳粛に奉修された。

 この法要には、大石寺主任理事・佐藤日学御尊能化、塔中・山内の御僧侶、
所化・小僧さんをはじめ、総本山総代の渡辺定元氏(法華講大講頭)・井出光彦
氏・吉野達也氏、地元の檀信徒、寺族等が多数参列した。

 午前七時、出仕太鼓が響く中、大勢のお供を従えられた御法主上人猊下が御
出仕あそばされ、献膳の儀・読経・引き題目と如法に執り行われた。

 宗祖日蓮大聖人が、建長五年に宗旨を建立あそばされるに当たり、三月と四
月に宗旨建立の意義を持つ御振る舞いがおわされた。

 大聖人御述作の『清澄寺大衆中』や『大白牛車書』、また『御義口伝』や御
歴代上人の御述作等には、三月は法界に対する内証の題目の開宣であるのに対
して、四月は外用弘通の題目の開示であること。

 また三月は顕正に即する破邪の説法を面とされるのに対して、四月は破邪に
即する顕正の説法が面となること。

 さらに三月は別して少機のために大法を示されるのに対して、四月は万機の
ために題目を弘通せられる等の区別が存する。


 

本門の本尊

 投稿者:育成  投稿日:2017年 3月11日(土)18時07分35秒
返信・引用
  本門の本尊とは、日蓮正宗の教えの根本である三大秘法(本門の本尊・本門の
戒壇・本門の題目)の1つを言います。

 大聖人様は『法華取要抄』に、「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・
天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物そや。答へて曰く、本門の本尊
と戒壇と題目の五字となり」(御書736㌻)と、末法の御本仏として、法華経の
真髄である三大秘法を説き明かされています。

 また、大聖人様は『本尊問答抄』に、「本尊とは勝れたるを用ふべし」(同1
275㌻)と仰せられています。

 もともと「本尊」という言葉には、

 ・根本尊崇(法の根本であるから尊い)
 ・本有尊形(もとのままの尊き姿)
 ・本来尊重(もとから尊ぶべきもの)

 という3つの意義があります。

 大聖人様はこれらの意義が具わる正しい本尊として大漫茶羅を顕わされまし
た。この本尊が本門の本尊です。本門の本尊には、「人」と「法」の2つの意
義があります。「人」の本尊とは、久遠の法体を所持される日蓮大聖人様を言
います。

 「法」の本尊とは、事の一念三千の南無妙法蓮華経を言います。この「人」
と「法」の本尊は一体であり、優劣があったり別々に存在したりするわけでは
ありません。

 これを人法一箇と言います。御本尊様の中心に「南無妙法蓮華経日蓮」と認
められているのは、大聖人様が人法一箇の御内証を顕わされたものです。そし
て、大聖人様が顕わされた多くの本尊の中で、弘安2年10月12日に顕わされた
大漫茶羅本尊こそ、究寛中の究寛とされる最も勝れた本尊です。

 この本尊を「本門戒壇の大御本尊」と尊称し、約700年間、総本山大石寺に
厳護されています。この本門戒壇の大御本尊様は、三大秘法の意義が具わり、
一切衆生を成仏に導く根本の本尊です。

 この御本尊様を固く信じ、それぞれの所属寺院や家庭の御本尊様に向かって、
日々勤行・唱題に励むことが私たちの幸せの源となるのです。


 

異流義破折特講

 投稿者:育成  投稿日:2017年 3月 8日(水)20時20分11秒
返信・引用
   一月十六日から、東京都渋谷区の富士学林大学科(法教院)において「異流義
破折特講」の授業が全八回にわたって行われた。

 これは、卒業を間近に控えた四年生を対象に、第一線で折伏弘教するための
実践的な知識と方法を身につけることを目的として、毎年行われているもので
ある。

 今年度は、異流義(創価学会・正信会・顕正会)の実態や破門に至る経緯、破
折の方法等についての講義が、複数の講師を招聘して開催された。

 受講した四年生は、今後さらに行学を錬磨し、破邪顕正・広布前進の人材と
なるべく、一層の精進を決意した様子であった。
           (大学科事務局)



 

法華講連合会第54回総会

 投稿者:育成  投稿日:2017年 2月27日(月)22時08分41秒
返信・引用
  今月26日(日)
総本山へ3万名

年初より、僧俗指導会を受けて講中異体同心しての精進が進められる中、二月
は各布教区で広布推進会が、折伏誓願目標全支部達成への決起大会との位置付
けで開催されてきた。

年度の区切りにも当たる今月末には春季総登山会が行われる。その第二日目、
二十六日には、御法主日如上人猊下御臨席のもとに、法華講連合会第五十四回
総会が開催される。

この総会には、法華講員三万名が大結集して、御法主上人猊下の御指南を賜っ
て総決起し、元旦からの精進を加速していきたい。

また今年は、一月に五重塔の修復完成法要が厳粛裡に執り行われた。この他、
三門の大改修をはじめ、平成三十三年の大佳節をめざして各種事業が着々と進
んでいる。

中でも最重要である法華講員八十万人体勢の構築を、一層力強く前進する時を
今迎えている。

それだけに御命題達成及び折伏誓願達成を阻もうとする障魔が競い起こってい
る。今後も厳しい場面に直面することもあろう。

しかしこれは、幾度となく御指南賜るように、目標実現が困難に見える状況に
陥っても迷わずさらに信行を貫くことで、必ず乗り越えることができる。

御指南を信じて行じ切れるか否か、無疑日信の「信」が試されている時である
とも言える。信強くしてこれを体験するか、信弱くして試みずに敗退するか、
二つに一つの岐路に今、いる。


春季総登山会の
追加申込みについて

 確信と歓喜をもって御命題実現に向けて前進するために、三月二十五日、二
十六日の春季総登山会の参加推進が行われてきた。

 現在、法華講連合会登山部として追加申込みを受け付けることとなっており、
各地方部の地方部長・登山部長には既に通知されている。

 さらに地方部より各支部に連絡がなされ、現時点で目標人数に達していない
支部はもちろんのこと、登山会及び連合会総会の趣旨・意義を周知して、でき
るだけ大勢が参加できるよう、各支部で推進し、地方部を通じて追加申込みを
行っていただきたい。

 三月十日を過ぎて取りまとめる追加申込み分については、原則として宿泊を
伴わない「二十六日(日)日帰りコース」となる。

 ただし、これも宿泊をしなければ登山できない遠方の地方部に関しては、配
慮する方針である。なお、既に申し込んでいる方々には、登山当日、無事に参
詣できるよう油断のない信行を心がけよう。


 

来たる3月25日・26日

 投稿者:育成  投稿日:2017年 2月13日(月)21時07分36秒
返信・引用
  法華講連合会 春季総登山会
第54回総会に3万名の結集めざして

現在、三月二十五日(土)・二十六日(日)の二日間にわたって開催される春季総
登山会に向けて、各支部で申込みの取りまとめがなされています。登山コース
は、二十五日・二十六日の一泊二日、二十六日の日帰りがあります。

この登山会では、二十五日に御法主日如上人猊下による御講義、二十六日には、
法華講連合会第五十四回総会が行われます。

 また、二十五日には法華講講頭会が行われますので、各支部講頭は一泊二日
の申込みとなります。

 三万名結集をめざして、各支部・地方部で最後まで推進をしてまいりましょ
う。

 法華講連合会第54回総会

 三月二十六日に開催される法華講連合会第五十四回総会は、御命題の平成三
十三年「法華講員八十万人体勢構築」を名実共に実現するために、「折伏育成
の年」を僧俗一致・異体同心して、全支部が折伏・育成・登山に総力を挙げて
取り組む総決起の場として開催されます。

 総会では、御法主上人猊下の御指南を賜り、信徒による体験発表等が行われ
る予定です。

日時  三月二十六日午前十時~十一時十五分

会場  主会場は広布坊。その他の会場(客殿、大講堂、旧仮御影堂、常来坊他
各宿坊)は、主会場の映像が同時中継されます。

参加目標  三万名
※総会当日、地方部鼓笛隊によるパレードを予定しています。午前八時二十
分から約三十分間で、総坊エリア「広布の広場」のみとなります。

バス・タクシー等の利用

登山に際し、高速バス、新富士駅及び富士駅の臨時バス・富士宮駅と大石寺
を結ぶ路線バス・タクシーも利用できます。その際には、第2バスターミナル
での乗降となります。


 

宗祖御聖誕八百年まであと四年

 投稿者:育成  投稿日:2017年 2月13日(月)20時57分9秒
返信・引用
  二月度広布推進会を決起の場に

 全国各地で、元気に広布推進会が開催されている。布教区・地方部内全支部
からの活動者を中心に一堂に会する広布推進会は、御指導、体験、決意によっ
て、他支部から学び、考えるヒントを得る場であり、やる気に火をつけ背中を
押してもらう場でもある。

 私たちは時に他人に対して装ったり糊塗することができたとしても、自分の
心だけは一瞬たりとも誤魔化すことができない。

 だから、改めなければならないことは、実は自分自身が一番、感じているも
のである。信心において大事なことは、惰弱な信心、解怠を改め続けることで
あり、それができれば最短で前進できる。

 本年一年、広布推進会を最大限に活用し、低迷することなく進んでいこう。
また、広布推進会は、「法華講員八十万人体勢構築推進委員会」の活動である。

 布教区と打ち合わせる地方部役員におかれては、この会合の重要性を認識し、
主体者としての自覚を持って「ここから広布の息吹を」と、内容の充実に心血
を注いでいただきたい。

 

総本山で興師会奉修

 投稿者:育成  投稿日:2017年 2月13日(月)20時50分26秒
返信・引用
  御法主日如上人猊下大導師のもと

御開山・第二祖日興上人の御祥月命日忌である今月七日、総本山大石寺をはじ
め、全国の各末寺において興師会が奉修された。

迹総本山では六日に御逮夜法要、七日に御正当会が、御法主日如上人猊下大導
師のもと厳粛に奉修された。

 これには、大石寺主任理事の佐藤日学御尊能化をはじめ、塔中・山内の御僧
侶方、所化小僧さん方をはじめ、総本山総代の渡辺定元氏・井出光彦氏・吉野
達也氏、寺族、信徒が多数参列した。

 六日午後四時、客殿の出仕太鼓が鳴り響く中、御法主上人猊下が御出仕あそ
ばされ、献膳の儀・読経・唱題と進められた。

 読経の中、御法主上人猊下の御焼香に続いて参列者全員が焼香を行った。

 その後、御法主上人猊下による懇ろな御回向が行われ、御逮夜法要はとどこ
おりなく終了した。翌七日は、同じく客殿において午前七時より、御法主上人
猊下大導師のもと、御正当会が奉修された。

 興師会では、日興上人が粗衣粗食であらせられ、お弟子方が摘まれた若芹を
愛好されたと伝えられることから、その御威徳を偲びつつ、若芹を御宝前にお
供え申し上げる。

 この法要に先立って、六日午前九時から、御助番の御尊師等によって芹摘み
が行われた。

 

創価学会 新仏誕生?

 投稿者:育成  投稿日:2017年 1月28日(土)17時36分6秒
返信・引用
   昨年十一月、創価学会はまたも会則を変更した。聖教新聞(平成二十八年十一
月五日付)によると、「日蓮大聖人直結・仏意仏勅の教団である学会自体が仏
の存在そのものであり、未来の経典には『創価学会仏』の名が記される」(趣
意)

 との長い間埋もれていた裏付けのない池田大作の思い出話を唯一の根拠に、
学会を「創価学会仏」と会則に明記したのだ。

 まさに悩乱の極致である。学会よ、大聖人直結・仏意仏勅を謳うのなら、「
学会仏」の根拠を御書や経典の予証で明示してみよ。

 そもそも「未来の経典」とは誰が説くのか? 末法万年の御本仏たる大聖人
以外の仏を想定しているということか?

 こんな矛盾だらけの珍説に翻弄される学会員こそ哀れである。

 出所不明の
 「学会仏」

 「学会仏」なる用語が登場したのは、管見の限り、昭和三十七年十月十八日
付の聖教新聞に掲載された座談会の記事が初出だろう。

 その中で、当時の教学部長・小平芳平氏の発言を皮切りに、突如として池田
大作は、戸田城聖二代会長の指導に「学会仏」という言葉があったと言い始め
た。

 しかし、これは極めて眉唾物だ。創価学会の元教学部長であり、大作の側近
だった原島嵩氏は、「私は小平氏に聞きました。『戸田先生は、本当に創価学
会仏といったのをあなたは直接聞いたのですか?』

 これに対し、小平氏は記憶が定かでないとして『いや、よくわからない。池
田先生から聞いたのかもしれない』と正直に答えてくださいました。

 私は、これはどうも先生のつくりごとか、あるいは戸田先生が事実言われた
としても、決して日蓮大聖人以外に創価学会仏なるものを想定されたこととは
どうしても考えられません。(中略)とにかく、先生はつくりごと、すりかえ、
自分の言ったことを他の人の言にしてしまうこと、それも既成事実化してしま
うことの名人です」
              (池田大作先生への手紙一〇六頁)

と証言している。

 「学会仏」は大謗法

 大聖人は、煩悩充満の凡夫について直ちに仏と詐る禅宗の邪義を、「謂己均
仏(己は仏に均しと謂う)の大慢」(御書三九七ー頁)と指弾されている。

 また、一仏の世界に二仏を立てる真言の邪説を、「一代五時を離れて外に仏
法有りと云ふべからず。若し有らば二仏並出の失あらん」(同四五〇頁)と破折
されている。

 これと同じく「学会仏」なる珍説は、大聖人が天魔の所為、亡国の悪法と喝
破される、禅宗や真言宗に並ぶ、否、それ以上の大謗法である。

 "創価愕怪物"を破折しよう

 およそ仏教徒にとって、仏法僧の三宝は信仰の根幹である。しかるに、
○御本仏のほかに「学会仏」を立てる仏宝破壊。
○本門戒壇の大御本尊に対する信仰を捨棄した法宝破壊。
○御歴代上人に誹謗中傷の限りを尽くす僧宝破壊。

 この三宝破壊の現証を見れば、創価学会は仏教徒ではなく、外道・池田教に
成り下がったことは一目瞭然である。そんな大謗法集団のどこに"仏"の意義な
どあろうか。

 まさに愕くべき仏法破壊の怪物、「創価学会仏」ならぬ"創価愕怪物"だ。

 当時の御当職であられた前御法主日顕上人猊下によって、完膚なきまでに破
折された学会資料(創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す 所収)によれば、かつ
ての学会は、「(日顕上人猊下に対し)『本地は何だ! 垂迹は何だ! 顕本は何
だ!』と攻めましょう」(該書 八二頁)

 などと述べて会員を扇動していた。ならば敢えて汝らの言葉を借りて破折し
よう。「学会仏」などという道理・文証・現証のない邪義に対して「『学会仏』
の本地は何だ! 垂迹は何だ! 顕本は何だ!」と鉄槌を下すものである。


 

無知を自覚することが真の認識に至る

 投稿者:司馬 懿  投稿日:2017年 1月13日(金)11時10分44秒
返信・引用
  >とくに硬質の楠樹をえらんで、

どこの産地から持ってきた楠!

>四尺七寸に大聖が書き残された

板本尊は四尺七寸ではない。

堀さんは何に基づいて四尺七寸と言ったのか!

これは何時代の文献ですか?

楠を誰が彫刻した!


 

頭破いて騒いでる創価学会仏くん

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2017年 1月12日(木)23時24分8秒
返信・引用 編集済
  頭破いて騒ぐではない。
ほんと頭大丈夫か?

我々は創価学会仏と違い、マトモだよ。

「未来建立の本門戒壇のために、とくに硬質の楠樹をえらんで、大きく四尺七寸に大聖が書き残されたのがいまの本門戒壇大御本尊であり、云云」
→身延の自生楠だとは示されていない。

さらに

http://www3.town.minobu.lg.jp/lib/shiryou/daiku/history00.html

1282(弘安5)年に日蓮聖人が亡くなって間もないころのことです。日蓮聖人にはたくさんのお弟子さんがいましたが、なかでも六老僧と呼ばれる6人の偉いお弟子さんがいました。そのひとりが日興上人で、日蓮聖人のあとを継ぐお坊さんには日興上人を、とみんなが考えました。
 ところが、それに反対する人がいました。そのころ身延の村を支配していた波木井実長です。実長は、前に日興上人から信仰のことで厳しく叱られたことがあり、そのことを根に持っていたのです。そのため、日興上人は1289(正応2)年、身延を去って富士郡へ行ってしまいました。富士郡は、今の静岡県の富士宮市のことです。
 日興上人が身延を去るときに、下山の石川という家の大工さんを、一緒に連れて行きました。この大工さんが、富士郡で「六壺の間」という名前のお堂を建てました。これが、今の日蓮正宗の総本山である大石寺のはじまりです。今でも同じ名前のお堂がありますが、これは大石寺ができて700年たった記念に、最近になって新しく建てられたものです。
 「六壺の間」は、四つの辺のそれぞれが12間(21.816m)ある、大きな建物だったそうです。どのくらいの大きさかというと、身延山久遠寺の本堂の1.5倍くらいです。 その建物の内部が横の方向に3区画、奥の方向に2区画の6区画に区切られていたことから、「六壺の間」と呼ばれるようになりました。
 これが、下山大工についてのもっとも古い言い伝えとされています。この話が伝えられているのは、下山の石川武重さん、石川孝重さん、石川与市さんの家です。この3軒の石川さんの家は同じ一族で、大石寺にあるさまざまな建物を建ててきた一族なのです。

下山大工とは、石川・竹下両家を中心とした身延地域の在方大工集団であり、江戸時代には芝白金御殿・駿府城・甲斐善光寺の建設にも携わるほどの大工集団です。その石山家に伝わる伝承が上記のものになります。
承久元年(1219年)「下山大工 七郎二」と、石橋八幡神社が再建された時の棟札が存在することから、下山大工は鎌倉時代初期から身延に存在する大工集団であったことがわかります。また、下山大工によると大石寺六壺には正応3年(1290年)の日付が書かれた棟札があるとのことです。
これは、大石寺が建立された正応3年10月12日と一致しています。

つまり、身延や創価学会仏どもが主張する「当時身延には楠が自生していなかったので戒壇様の楠を入手できない、日興上人が戒壇様を大石寺に移動することはできない」との邪推は、大聖人様御在世時代に身延に大工集団が存在していたこと、身延から大石寺への移動に大工集団が同行していた事実から簡単に破折されるのです。
 

無知を自覚することが真の認識に至る

 投稿者:司馬 懿  投稿日:2017年 1月12日(木)10時41分14秒
返信・引用
  通りすがりの法華講員

身延に楠が自生していなければならない理由を述べなさい。

阿仏房は佐渡から身延まで来られるだけの交通網がある中、身延に楠木を持ち運ぶことなど大したことではないよ。

さらに、大聖人様の信徒は、南条時光 ・富木常忍 ・四条金吾 ・池上兄弟など地頭や高貴な家柄もいる。

大聖人様が身延で楠を伐採しなければいけない理由を述べなさい。

また、当時、身延にお寺や御堂は無かったのかい?お寺を建立するのにどれほどの木材が必要か理解できているか?

お寺を建立する木材の寄進があるのに、戒壇様を顕す楠は入手できないのかい?

道理で考えなさい。

頭大丈夫か?


 

お知らせ

 投稿者:育成  投稿日:2016年12月29日(木)21時04分13秒
返信・引用
  唱題行を下記のように奉修いたします。

      記

一、期間  一月一日~一月三十一日

一、時間  午前八時~九時

一、場所  総本山客殿

 ただし、七、十三、十五日は、
 午前九時~十時に行います。

 

課外授業「創価学会破折」

 投稿者:育成  投稿日:2016年12月29日(木)20時47分54秒
返信・引用 編集済
  富士学林大学科


十一月七日、東京都渋谷区の富士学林大学科(法教院)において、大学科生を
対象とした本年度の課外授業「創価学会破折」が開催された。

本年度は西岡雄信富士学林助教授(神奈川県藤沢市・寿照寺住職)より、昼夜
二回、各八十分にわたって授業が行われた。

授業は初めに、創価学会の設立から今に至るまでの経緯の総括と、用意され
た資料を元に、破門以後の動向が詳しく説明された。

そのなかで、昭和五十二年路線から平成三年に創価学会が破門されるまでの
問題について、御自身の体験を交えて話されたことは、非常に貴重で有り難い
ものであった。

また、創価学会は御法主上人を師匠とせず、会員内で師弟関係を作り、さら
には『二セ本尊』までも作製し、明らかな邪教集団となってしまったのである
と述べた。

最後に、私達一人ひとりが御法主日如上人猊下の御指南をしっかりと拝し、
諦めないで創価学会を折伏することが大事であると話し、授業が括られた。

 大学科生は今回の授業により、創価学会の邪義破折への決意と情熱を、さら
に確固たるものとした様子であった。



 

鬼門修復工事が完了

 投稿者:育成  投稿日:2016年12月24日(土)22時48分15秒
返信・引用
  御法主日如上人猊下通り初め  平成28年12月20日


 

御大会

 投稿者:こうのとり  投稿日:2016年12月18日(日)18時03分51秒
返信・引用
  御大会は、日蓮大聖人が今から七百三十四年前の弘安五(一二八二)年十月十三
日に入滅あそばされ、滅不滅・三世常住の妙相を示されたことをお祝いする法
要である。この御大会は春の御霊宝虫払大法会とともに二大法要の一つとなっ
ており、各末寺においても十月一日から十一月三十日までの間に御会式が奉修
されることになっている。



 

布教講演会

 投稿者:こうのとり  投稿日:2016年12月13日(火)21時38分52秒
返信・引用
  二日午後七時より一泊登山者を対象に行われます。

初めに、総本山代表の御僧侶による新年挨拶、次いで二名の御僧侶による布教講演を拝聴します。

最後に、信徒代表による謝辞をもって終了します。


 

大石寺――新富士駅

 投稿者:こうのとり  投稿日:2016年12月13日(火)21時24分12秒
返信・引用
   登山バスの運行

新年初登山が行われる一月二日・三日は、大石寺と新富士駅(富士駅経由)間の臨時バスが富士急静岡バスにより運行されます、

 運賃は、新富士駅から九三〇円〔小人四七〇円)。富士駅から八二〇円(小人四一〇円)。共に片道運賃です。

 ※この二日間に大石寺と新富士駅・富士駅間で運行されるバスは、上記の臨時便のみです。

 通常便の運行はありません。


 

法華講員八十万人体勢構築

 投稿者:こうのとり  投稿日:2016年12月13日(火)21時19分33秒
返信・引用
  推進僧俗指導会について

あと二週間ほどで「折伏躍進の年」が終わろうとしています。

明年「折伏育成の年」は、「平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の大
佳節までに、法華講員八十万人の体勢を築くこと」との御命題に向かっての、
三年目を迎えることとなります。

誓願達成への正念場となる大事な年の初めに当たり、全国で布教区別に僧俗指
導会が開催されます。

この指導会は、平成二十九年の折伏誓願目標の達成、並びに平成三十三年・法
華講員八十万人体勢構築の御命題達成に向かって、布教区の僧俗が一丸となっ
て出発するための重要な指導会です。

参加者は、各法華講支部の指導教師の御尊師方。また、信徒は講頭・副講頭・
認証役員・支部役員・活動者等となっています。

指導会は、一月中に、すべての布教区で開催される予定です。

指導会では、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念局の、法華講員八十万人体
勢構築推進委員会の各委員から、御指導があります。

なお、明年後半の八月及び九月には、大布教区別の僧俗指導会が開催されるこ
とになっています。

  ◇

折伏と育成は信行の基本であり、法華講員八十万人体勢を構築する要となりま
す。

私たちはいよいよ大事な時を迎えます。全国の支部講頭・副講頭・認証役員・
支部役員をはじめ活動者は、この布教区別僧俗指導会の目的を達成するため、
広布の主体者であることを深く自覚して出席いたしましょう。



 

平成29年 「折伏育成の年」

 投稿者:こうのとり  投稿日:2016年12月13日(火)21時10分18秒
返信・引用
  年間実践テーマ

①勤行・唱題で折伏完遂

②御講参詣で人材育成

③講中みんなで支部総登山



 

宮田幸一の「全ての本尊に功徳」説を破す

 投稿者:新型プリウス  投稿日:2016年11月29日(火)12時11分11秒
返信・引用
  前々稿から、学会教学部顧問・宮田幸一の「日蓮宗の寺院に安置されている大
聖人御真蹟の本尊も等しく"本門の本尊"として認め、それに題目をあげれば皆
な功徳がある」との主張について破折しているが、今回は、そのなかのひとつ
である「日蓮宗所蔵の本尊にも功徳がある」との邪義を破折していきたい。

 現在、刻々と本尊や教義、化儀を変貌させている学会であるが、そのなかで
も本門戒壇の大御本尊からの訣別は、新たなる邪教のスタートとも言うべき謗
法行為であった。

 その状況下において、宮田らが「日蓮宗所蔵の本尊にも功徳がある」と主張
することは、大御本尊からの訣別を宣言した学会にとっては、むしろ当然のこ
とであったと言える。

 それは、独立教団存続のためには他の本尊を選定しなければならず、その前
提として「真蹟本尊は全て本門の本尊で、功徳がある」との主張を立てたから
である。

また、大聖人の直筆の本尊であれば、無知な会員が、"有り難そう、功徳があ
りそう"に思うだろう、との思惑もあったのだろうが、そのような浅はかな考
えで邪宗日蓮宗の本尊を正当化するとは、なんと身勝手で、稚拙な行為であろ
うか。これが、過去に謗法厳誠を貫く日蓮正宗の信徒団体であったのかと、目
を疑ってしまう。さて、日蓮宗所蔵の本尊にも功徳がある、とするために学会
が持ち出すのが、「信心の血脈」論である。

創価学会の会則には、〈受持即観心の本義に照らせば、御本尊を正しく拝する
信心があってこそ、釈尊の因行果徳の二法を具足した妙法蓮華経の功力を現実
に顕すことが可能になる。

「観心の本尊」は、「信心の本尊」でもある。この信心を私たちに教えてくだ
さったのが創価の三代会長、なかんずく池田名誉会長であることも言うまでも
ない。

 したがって、「広宣流布のための御本尊」を弘通し、「信心の血脈」を受け
た創価学会が、御本尊を認定し、授与することは当然であり、御本尊は等しく
「本門の本尊」であるが、学会員はあくまでも、学会認定の御本尊を受持し、
無限の功力を現して、広宣流布に邁進していくのである〉として、御本尊の功
力は信心によって顕わすことが可能になるので、信心の血脈を持つた創価学会
が認定する真筆本尊に功徳が具わる、と公言したのである。

 しかし、これは、本尊によって導かれるべき衆生(しかも正法に背く謗法の
徒)の側が、本尊を認定する、という増上慢極まりない考えであり、断じて許
される行為ではない。

 そもそも、血脈には「法体の血脈」と「信心の血脈」の二つがあり、あくま
でも、別しての法体の血脈、つまり大聖人から日興上人以来の御歴代上人を経
て、御当代日如上人にと流れ通う、唯授一人の血脈を根本として、師弟相対し
て大御本尊を信受するところに、総じての「信心の血脈」が流れるのである。

けっして法体の血脈なくして、信心の血脈があるわけではない。

ゆえに、法体の血脈から離れ、これを否定軽視する創価学会に、信心の血脈が
流れ通う道理はなく、その学会がいかに本尊を認定しようが、功徳も利益も具
わるはずがないのである。

 大聖人が「総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。輪廻生死のもと
みたらん」(御書一〇三九頁)と仰せのように、血脈に総別の立て分けが厳とし
てあることを知らなければ、成仏は不可能となる。

それどころか、堕地獄の業因となるのである。これらの意義により、法体の血
脈を所持される御法主上人の印可された、大聖人御真筆の御本尊をはじめ御歴
代上人書写の御本尊には、戒壇の大御本尊の意義と功徳が具備されるが、日蓮
正宗の相伝仏法に背く他教団の所有する本尊は、それがたとえ大聖人の真筆と
いえども、功徳・利益を具備しないのである。

 この大事は、破門以前の学会においては、「日蓮宗身延派にあっても、南無
妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある。経文も、法華経の方便品、寿量
品等を読経している。また、もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上
人の認められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと
同じである。

外見からみればわれわれと同じにみえるが、それらには唯授一人・法水潟瓶の
血脈がない。法水潟瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本
尊を持つも無益であり、功徳はないのである。

すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである」(『
広布と人生を語る』第八巻二二八頁)と指導し、法体の血脈に則つた信心でな
ければ、いかなる本尊であっても無益であり、功徳が存在しない、と断言して
いる。

現今の創価学会による、戒壇の大御本尊の意義を否定する主張、そして邪宗の
本尊を正当化する行為は、自らの過去の主張に照らして自家撞着そのものであ
る。

そもそも、学会が執着している正本堂を建立したのも、また池田が大聖人御遺
命の事の戒壇に固執したのも、すべては戒壇の大御本尊を抜きにありえないこ
とではないか。

さらには、学会の偽本尊の元となる日寛上人書写の御本尊も、日寛上人が戒壇
の大御本尊を書写された御本尊なのだから、大御本尊の否定は、みずから偽造
した偽本尊の否定にも繋がることとなるのである。

近年、学会が日蓮宗寺院から大聖人真筆本尊の版権を買い取った、との情報も
あるが、日蓮世界宗へと変貌した創価学会の迷走は、今後も続くであろう。


 

師弟子の筋目

 投稿者:動静  投稿日:2016年11月17日(木)18時16分31秒
返信・引用
  大聖人が御入滅した後々の世に、「大聖人直結」なる邪義が生じても、大聖人
の下種仏法が惑乱(わくらん)されることなく未来永劫に流布していくよう、大
聖人は「血脈の次第日蓮日興」という二箇相
承書、また『百六箇抄』の誠めを遺されました。

『日興遺誡置文』に、「富士の立義珈(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」
(御書一八八四頁)、
「当門流に於ては御抄を心肝に染め極理(ごくり)を師伝して」(同)

等とお示しになられたのは、日興上人が師弟相対に徹せられたことの表明であ
り、また師弟相対による極理の師伝が重要なることを示された文証といえます。

このように、仏道修行の根本は「日蓮日興の師弟相対」に尽きるのです。また、
これを師資相承ともいいますが、それは、師匠一人から弟子一人に対して仏法
を付嘱し、相承していくことです。「師」
とは仏法を教える師匠のこと、「資」とは資助する・助けるの意で、教えを受
けて法を伝えていく弟子のことを意味します。

 釈尊は迦葉尊者に、天台は章安に、伝教は義真に、久成の釈尊は本化地涌の
上首・上行菩薩に、そして末法の本仏・宗祖日蓮大聖人は日興上人に、それぞ
れ、多くの弟子がいたにもかかわらず、唯一人の弟子を選んで仏法を付嘱され
てきました。

しかして、大聖人からの付嘱を受けた日興上人は第三祖日目上人に、日目上人
は第四世日道上人へと、代々唯授一人の師資相承をもって、現六十八世日如上
人に至るまで、下種仏法の一切の正義が付嘱されているのです。

この師資相承による仏法の付嘱と伝持、さらに弘通は、三世の通規であり、永
遠不変の法則なのです。

第九世日有上人は、「私ノ檀那之事、其れも其筋目を違はば即身成仏と云フ義
は有るべからざるなり」(富要集一巻二四七頁)
と示され、第三十一世日因上人は、「此ハ師檀の因縁を示す檀那ハ是俗ノ弟子
なり、故二師弟血脈相続なくしては即身成仏に非す、況や我が師匠に違背せる
の檀那ハ必定堕獄なり」(富要集一巻二四七頁)と、御教示されています。

 すなわち、末法の御本仏である大聖人はもちろん、血脈付法の御法主上人猊
下を現在の仏法の大師匠と仰ぎ、その御指南に信伏随従して信仰に励むところ
に、師弟相対による即身成仏の大功徳が具わり、反対に、これに違背する者は
地獄に堕ちることが必定である、と仰せられたものです。

したがって、私たちは、師の心に適った信心を常に心掛けていかなければなり
ません。また第六十五世日淳上人は、「仏法に於て相承の義が重要視されるの
は、仏法が惑乱されることを恐れるからであって、即ち魔族が仏法を破るから
である。そのため展転相承を厳にして、それを確実に証明し給ふの
である。

(中略)大聖人の御あとはどうであらせられるかと拝すれば、直弟子中日興上人
を御選び遊ばされ、一切大衆の大導師として一期の弘法を御付属遊ばされ、『
弘法抄』(※身延相承書)を以てその事を証明遊ばされたのである。

御文中『血脈の次第 日蓮日興』とあらせられるのは、大聖人の正統を決定し
給ふためであって、付属相承、師資相承等の一切の相承のことが、此の御文に
よって立証されておるのである。

しかしてそのあとのことは日興上人を師と仰ぎ、師弟相対して相承し給ひ、大
衆は各々また師弟相対して相承してゆくのが仏法の道である。内証の上には大
聖人の御弟子であることは勿論である。といって内証のみに執して(※はだめ
で)、師弟の関係を整へることが最も大事であって、此れを無視するところに
聖祖門下の混乱があり、魔の所行が起こってくるのである」(『日淳上人全集』
一四四二頁)と御指南されています。

すなわち、「大聖人直結」を主張することは、内証において大聖人の弟子であ
ることのみを主張するに過ぎず、これは仏法破壊の「魔の所行」である、と仰
せになっています。

また御隠尊日顕上人は、「『日蓮日興』という血脈がある。これは、生死の血
脈の実際的な根本となる仏法付嘱・伝持の血脈である。

これはたいへん重大なことであって、その意味は、いわゆる一般的な説明にお
ける仏様が衆生を導く意味の血脈の、三世にわたる下種仏法の実質的な付嘱を
意味します。

末法という時代の魔が多い中で、あるいは邪義の横行する中で仏法の正義を未
来永遠に向かって、あくまで正しく伝えていくための根本法体を含んだ血脈が、
大聖人様から日興上人へ伝えられたものなのです。

要するに、どこまでも誤りを打ち破って正しく仏法を伝持するところの方策の
中に、日蓮日興の血脈の趣意は存するが、その本来の目的は一切衆生の成仏に
ある」(『大日蓮』平成二年九月号十七頁)と仰せです。

すなわち、師資相承の源に存する「血脈の次第日蓮日興」の仏法付嘱は、大聖
人からの根本の血脈であり、この血脈を通して、私達の成仏も可能なのです。

大聖人が後世の僧俗に戒められたこと、それは戒壇の大御本尊を根本の本尊と
して尊崇すること、そして大聖人からの唯授一人の血脈を尊信し、仏法の一切
を所持せられる御法主上人猊下の御指南に信順することなのです。


 

(無題)

 投稿者:緊急会合  投稿日:2016年10月29日(土)23時34分31秒
返信・引用
  牧口常三郎初代会長 指導】
御本尊の中、総与の御本尊と称して、大石寺に伝へられる大御本尊を信じ奉る者が正しい信者である
(牧口常三郎全集 1-151)
 

で、創価学会員が戒壇様を肯定したとさ(笑)

 投稿者:通りすがりの法華講員  投稿日:2016年10月28日(金)11時45分21秒
返信・引用
  とんだオチですな。
以下、宿坊2より、無名★さんのコメントを転載します。

◎「富士門家中見聞下」

或る時日法御影を造り奉らんと欲す 七面大明神に祈念し給ふ感応の至りか浮木出来せり、此の木を以って戒壇院の本尊を造立し 次に大聖の御影を造ること已上三躰なり、
其の一躰は纏に三寸なり上行所伝抄の意なり、『大聖戒壇院の本尊を書し日法之を彫刻す今の板本尊是れなり』


◎「有師物語聴聞抄佳跡上」

日因私に云く日法の伝精師家中抄下巻にあり(中略)『蓮祖御存生の弘安二年に板本尊を彫し奉る本門戒壇の御本尊是なり、又一体三寸の御影を刻り奉る』


なんだ。
「弘安二年に板本尊を彫し奉る本門戒壇の御本尊是なり」
と記されてた訳だ。

チャンチャン。


【注意事項】
二度と創価学会員は、本門戒壇の大御本尊様を否定しないように
はよ、創価なんぞの宗教詐欺から抜けなさい。
 

宮田幸一の「全ての本尊に功徳」説を破す

 投稿者:ワンパンマン  投稿日:2016年10月 1日(土)18時24分4秒
返信・引用
  今回からは、学会教学部顧問・宮田幸一の爆弾発言のひとつである、「日蓮宗
各派の寺院に安置されている大聖人御真蹟の本尊も等しく"本門の本尊"として
認め、それに題目をあげれば皆な功徳がある」との邪説について、破折してい
こう。

 はたして、宮田の主張のごとく、日蓮宗所持の大聖人御真筆本尊は「本門の
本尊」に当たるのか、また、これを拝むと功徳があるのか。

 その答えを探る前に、まず、なぜ宮田がこのような邪義を提唱するのか、そ
の意図を明確にしておきたい。

 宗門から破門され、正法正義から離れた学会は、それ以降も日蓮正宗の教義
や本尊を盗用しながら、存続してきた。しかし、これまで本紙において指摘し
てきたとおり、本宗を批判しながら本宗の本尊・教義を用いるという自家撞着
を避けられない、というジレンマに陥っていた。

そのために、新たなる道を踏み出すべく、日蓮正宗の宗旨の根幹である本門戒
壇の大御本尊との決別を表明したのだ。

 これまで学会が大御本尊を所依の本尊としてきた理由について、会長の原田
は、会則変更の説明の中で「当時(中略)会員の皆さまの感情や歴史的な経過を
踏まえ、この『一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊』については、『弘安二年
(一二七九年)の大御本尊』を指すとの説明を行なっていました」

などと述べ、「会員の感情」「歴史的な経過」から大御本尊を信仰の根本の本
尊としてきたと、まるで大御本尊を、真実を顕わす前の方便のごとく扱ってい
る。

 原田の言うように、もし、大御本尊が学会の本意ではなかったとするならば、
これまでの学会
は、長年にわたって会員をだまし続けてきたということになる。

そもそも、信仰の根本対象である本尊を、衆生側の「感情」で決める、という
考え自体が、もはや
道理を説く仏法とは大きくかけ離れている。

このような邪な理論づけをして、

「会則の教義条項にいう『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した
御本尊であり、大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしま
せん」と、完全に戒壇の大御本尊からの決別を宣言するに至るのだ。

では、今後の学会が何を所依の本尊とするのかというと、原田がいうように「
学会が受持の対象として認定した御本尊」であるとするのだが、その認定の内
容を具体的に宮田が説明している。

それが「日蓮宗各派の寺院に安置されている大聖人御真蹟の本尊も等しく"本
門の本尊"として認め、それに題目をあげれば皆な功徳がある」との発言なの
だ。

つまり、学会は、邪宗日蓮宗に所蔵されている大聖人の御真筆の本尊を含め複
数の真筆本尊をすべて「本門の本尊」として正当化させる、という方針に切り
替えたのである。

かつての歴史の中で、創価学会が自ら「小樽問答」などで破折してきた邪宗日
蓮宗の本尊を、今や平然と肯定しているのだから、もはや身延と同じ不相伝の
邪宗教になり下がった、という他ない。

いま宮田らが、日蓮宗所蔵の本尊を容認すると言う、新義の本尊観は、すべて、
本門戒壇の大御本尊および日蓮正宗の教義からの決別を図ろうとする目論見か
ら出ているものであり、当然、その所行は大聖人の仏法に違背する邪義邪説で
あることを、まず断言しておく。




 

信心?

 投稿者:地元民  投稿日:2016年 9月20日(火)06時09分35秒
返信・引用
  大石寺の代々の檀家は御本尊が本物か偽物かそんなもんは気にしちゃいねえよ。
だいいち檀家は御法主上人猊下なんていうやつなんかいないしな。
神社もいけば他宗派の寺だって行くよ。
地元の子供たちのランドセルにゃどこだかわからねえお守りがついてるしな。
また大石寺の建物を学会と日達さんが作ったヘンテコなコンクリートの洋風建築を日顕さんが和風にしたのはいいけんど金もないのにあんなでっけえのを建てたのはどうかと思うよ。
まあいずれにしても学会の金に目が眩んで他宗派を攻撃したり神社に行っちゃ行けねえなんて言い出したのは坊さんどもにも責任があるな!
 

法主がウソをつく

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 9月 2日(金)22時30分50秒
返信・引用
  手斧(ちょうな)けずりを根拠にした細井日達の鎌倉時代造立説はとんでもな
い欺瞞だ

先代の日蓮正宗大石寺法主・細井日達(六十六世法主)が、随所の説法の席で
「本門戒壇の大御本尊」が手斧(ちょうな)で板の表面を削ってあることを根
拠にして、「本門戒壇の大御本尊」が日蓮聖人在世の鎌倉時代に造立されたこ
とに間違いがない、などと説法している。その主なものをここに書き出してみ
るが、よく読んでいただければわかることであるが、とんでもないウソをつい
て僧俗を欺瞞しているのである。

「また戒壇の御本尊様は楠の板である。楠の板で大部古くなりほこりが後ろの
方にたまり今度御水洗いする事になり洗ったのである。実際に大御本尊は楠の
板で其の時分ははカンナがなかった。鎌倉時代には手斧(ちょうな)である。
だからあの御本尊は手斧けずりである。

それを見ればすぐ分かる。それを知らないで漆を塗ってあるからあれは足利時
代に出来たとか最近は徳川時代に出来たなどととんでもない事を言う。ところ
があれは後ろを見るとみんな削ったあとがちゃんと残っている。

それを見ても明らかに鎌倉時代である。 しかも手斧で、明治時代の人は知っ
ている。丸いものではない。あの時代には鉞(まさかり)みたいな手斧で削っ
た。其の板です。実際に見ればはっきり分かる。

そういう事はこちらも誰も言わないけれども信者の人なら申しても差し支えな
いから申し上げます。表の方は本当は漆を塗ってあるから分からないけれども
私は御虫払いでいつも、御拭きしますから分かります。

今の板御本尊みたいに滑らかではない。ぎざぎざしている。それに漆を塗った
のである。そういう事を見てもはっきり鎌倉時代の板本尊である…」
(日達上人全集二輯五巻434,日興跡條々の事 s47/9/12 日正寺竜口法難会砌)

「戒壇の大御本尊様は……もう六百八十年も前に出来た板御本尊で御座いまし
て、これは当時鉋(かんな)というものが無かった、鎌倉時代で御座いますか
ら、あの板御本尊様は明らかに鉋では造ってないのであります。みんな手斧(
てちょうな)、手斧といっても戦国時代或いは室町時代できる丁鉋(ちょうな
)でなくてもっと古い鉞(まさかり)みたいな手斧で削られて居るので御座い
ます。それが歴然としてあの板御本尊様に残っておるので御座います。それを
見ても鎌倉時代大聖人の時代に御造りになった御本尊様である事がはっきりし
ておるのでございます。…」
(日達上人全集二輯一巻368-371,大日蓮s48/2 、s47/11/20 本山御大会の砌)


「戒壇の御本尊様は楠の厚木です。表から見るとこういう板です。ところが此
れは大変な板です。ただの板ではないのです。こういう板になっているのです。
だから後ろから見ると丸木です。丸木を表だけ削ってあるわけです。大変なも
のです。重たい。上はただ三寸そこそこの板ですけれども、まわりは丸木です。
真ん丸い木です。その丸い木を前を削って板にしたにすぎません。しかも此れ
を削ったのは手斧、鑓手斧(やりちょうな)とも鑓鉋(やりかんな)ともいい
ますね。

それで削った。それは赤沢朝陽氏がちゃんと言明しております。だから鎌倉時
代のものである。この手斧の削り方は徳川時代以後のものではない。足利時代
から今日使用のああいう手斧が出来ていますか。鑓手斧は鎌倉時代の絵を見れ
ば分かります。そういう御本尊ですから決して最近できたものではない。 以
下略 」
(日達上人全集二輯五巻446,日興跡條々の事 s52/5/26 寺族同心会砌、大日蓮
S52/7 、蓮華s52/6 )


こうしてやれ手斧(ちょうな)だ、やれ丁鉋(ちょうな)だ、やれ鑓手斧(や
りちょうな)だ、などと言われると、はてそうかな?と思ってしまう信徒が大
半なのではないだろうか。しかしこれらの細井日達の説法は、とんでもない欺
瞞のトリックがあるのだ。

現在でも木工作業に使われている鉋(かんな)は、江戸時代に発明されたもの
であることには間違いはない。この鉋(かんな)の発明は、かなり劇的なもの
だった。それは、それまでできなかった、木の表面をまっ平らに削ることを可
能にしたのである。

つまりそれ以前の手斧(てちょうな)丁鉋(ちょうな)鑓手斧(やりちょうな
)といった木工工具では、まっ平らに削ることができなかった。どんなに削っ
ても1ミリ~2ミリ程度のデコボコ、乃至、凹凸がどうしてもできてしまうの
である。

したがって木の表面を見て、完全なまっ平らなのか、多少のデコボコ、凹凸が
あるが、を見て取れば、江戸時代以降にできたものか、あるいはそれ以前にで
きたものかは、判別することができると言えよう。

判別できるのは、江戸時代以降か、それ以前か、なのである。

しかし細井日達の説法のように、木の表面のデコボコ、凹凸だけで鎌倉時代の
ものだ、などとは断定できるものではない。細井日達はなんとしても「本門戒
壇の大御本尊」は鎌倉時代にできたものだ、と言いたいがために、こうしたバ
カげた詭弁を言っているのである。何も知らない信徒をだまそうとする、とん
でもない欺瞞だ。

これを裏付けるためにわかり易い一例を言おう。大石寺客殿の中央に鎮座する
「譲座板本尊」をよく見ていただきたい。この板本尊は二祖日興上人が書した
「御座替わりの御本尊」を江戸時代初期の法主が板に模刻したものであるが、
黒漆(うるし)が塗ってある表面にはかなりの凹凸が見える。

これはもちろん鉋(かんな)ではなく、丁鉋(ちょうな)鑓手斧(やりちょう
な)といった古来の木工工具で削ってあるからだ。しかしこれは、鎌倉時代の
ものではなく、江戸時代初期に造立されたものだ。

鉋(かんな)は、江戸時代に発明されたといっても、現代のように、何か便利
なものが発明されて世に出ると、あっと言う間に広まるといったものではなく、
世間一般に広まるにはかなりの時間を要した。江戸時代初期といっても大石寺
のある駿河地方には広まっていなかったのであろう。

しかしそんなに「本門戒壇の大御本尊」の造立年代を明らかにしたいのであれ
ば、こんな凹凸があるだのないだのと無理にこじつけたりするのではなく、ち
ゃんとした科学的な検証方法を用いたらどうなのか。

その科学的な検証方法の一つが「炭素14年代測定法」である。これを使った
製作年代の算定は、世界中で広く行われており、数々の実績をあげている。こ
れならばほぼ正確に「本門戒壇の大御本尊」の造立年代を算定できよう。

近年の実例の一つとしては、イタリア・トリノ大聖堂にある「キリストの聖骸
布」がアメリカ・イギリス・スイスの科学者の手により「炭素14年代測定法」
で年代測定され、後世の偽作であることが判明した。

そしてこの科学鑑定の結果をバチカンのローマカトリック教会も実質的に是認
したのである─是認せざるをえなかったと言えよう。

日蓮正宗も、それほどまでに「本門戒壇の大御本尊」の造立年代を証明してみ
せたいのであれば、堂々と科学者の手による「炭素14年代測定法」での科学
鑑定に委ねてはどうなのか。

本当に「本門戒壇の大御本尊」が弘安二年十月十二日に日蓮聖人が建立したも
のであれば、科学者の「炭素14年代測定法」での科学鑑定でもそのように結
果が出ることであろう。そのようにすれば良いのではないか。これによって数
百年つづいている「本門戒壇の大御本尊」の真偽論争に完全に終止符がうたれ
るであろうし、真実が証明されることは日蓮正宗にとっても信徒各位にとって
も喜ばしいことなのではないのか。

ところが日蓮正宗はことさらに、かたくななまでに科学鑑定を拒否ないしは無
視しつづけている。そして「正直な信心」を標榜して「本門戒壇の大御本尊」
への信仰を信徒に強要し、カネを集めつづけているのである。識者の目にはこ
れがどう映るだろうか。


 

こんなの一般常識です。

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 9月 1日(木)23時53分8秒
返信・引用
  >私は板本尊は大石寺が鑑定を許否している以上、日蓮作とする資料が無いので疑いが強い真偽未決の本尊としています。


近くは顕師も教学部長の時板本尊を鑑定済み、

また 大正15年8月8日に 堀日亨上人が、参事と理事、録事と有川他 『本門戒壇板本尊』を鑑定されている。

資料が無いのではなく身延に板本尊にする天然の楠は存在しないし、かつ聖人は紙幅の本尊しか顕されていません。

板だなんてとんでもない。それこそへそで茶を沸かす。

通称飛び曼荼羅はニセ本尊です、では奉安堂の板本尊は?


 

しかし

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 9月 1日(木)22時52分41秒
返信・引用
  日蓮正宗総本山大石寺にある「本門戒壇の大御本尊」や日蓮聖人から弟子の日
興上人を経て大石寺の歴代法主に相伝されてきたという「二箇相承書」「日興
跡条条事」「百六箇抄」「本因妙抄」といった相伝書、さらには本門戒壇の大
御本尊の両脇に鎮座する最初仏、御灰骨、御生骨に至るまでどこをどう調査し
ても、本物である証拠は何一つ出てこない。

逆に、後世の偽造とする、つまりニセモノである証拠は、あちらこちらから山
のように出て来るのだ。

そうするとこれは重大な問題をはらんでいる。たとえば、ただのガラス玉を「
ダイヤだ」と言って人に売れば、これは詐欺だ。また重要事項でウソをついて
結んだ契約は、法律によって無効となる。

金銭をだまし取った側は、だまし取った金銭を賠償し、原状を回復する義務を
負う。

同じように、ニセモノである本尊を「本物だ」と偽ってカネを集めているとな
れば、これだって詐欺ということに他ならないではないか。ただのニセモノ板
本尊を「日蓮大聖人さまが建立された本物だ」と言って、信者を騙して、内拝
料や供養金をとれば、詐欺ということだろう。

その犯意はダイヤの詐欺とは比べ物にならない。悪どさでは、ダイヤ詐欺より
もはるかに深い。底無しに深い。はるかにダイヤ詐欺を超えるだろう。

ニセモノ板本尊をかかげて信者を欺瞞し、その信者を指導して、本尊偽造や日
蓮正宗に批判の目をむける人たちに対して、やれ「仏敵」だの「地獄に堕ちる」
だのと呼ぶ日蓮正宗の腹黒い体質。

私たちはこういうことを許すことができない。どうしても「仏敵」だの「堕地
獄」だのと言いたいのなら、きちんと反論して「本門戒壇の大御本尊」なる板
本尊を「炭素14年代測定法」などの科学鑑定をなして、それが本物であるこ
とを証明してみせるべきだ。

が、それができないというのであれば、私たちはあの板本尊は後世の偽造であ
り、ニセモノである、と断言する。本物であるはずは、絶対にない。

これだけ重要かつ危険な要素をもつ宗教が日蓮正宗なのだ。そうなれば、日蓮
正宗・その関係者・弘教者といった人たちを糺していくのは当然のこと。もっ
といえば、日蓮正宗の行う布教そのものを、場合によっては阻止しなければな
らない時もありうるとさえ思う。いずれにせよ、日蓮正宗は重要な要監視団体
である。

同時に、私たちは、人間とは本来的に、かくも弱いものなのか、とも思う。



 

つづき

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 9月 1日(木)20時34分10秒
返信・引用
  「三師御伝土代」の作者も板本尊について全くふれていない。

さらに驚くべきことに、日蓮宗身延派・興門派富士各本山・日蓮正宗・中山系
等すべてふくめた日蓮一門で、歴史上、最初の日蓮聖人の正確な伝記といわれ
る――というふうに、日蓮正宗が言っている――日蓮正宗大石寺五世日時法主
の著書「三師御伝土代」にすら、まったく本門戒壇板本尊造立について、触れ
ていないのである。

参拝の信者がだれでも拝めたという状況に有り、多くの信徒がその存在を知っ
ていたはずの板本尊。しかも日蓮正宗はこれを「日蓮大聖人の出世の本懐」と
言っているほど、重要な存在の板本尊のはずであるが、大石寺五世日時法主は
日蓮聖人の伝記を書き残すにあたって、そんなにも重大な板本尊のことについ
て、一言も触れていないのである。

こんな矛盾したハナシがあるだろうか。否、ここまでになると矛盾だらけだ、
と言っても過言ではあるまい。


広宣流布の暁までは蔵の中に秘蔵する、といっておきながら、身延山時代は秘
蔵されずに、堂宇の本堂に安置されていて、だれでも本門戒壇板本尊を拝めた
などと細井日達法主自ら認めている一方で、ならば本門戒壇板本尊の存在を誰
も知らないという矛盾。


しかも秘蔵されていなくて、当時の僧俗でもその存在が知られていたはずの板
本尊、日蓮大聖人の出世の本懐とまで日蓮正宗が言うほど重大なはずの板本尊
のことについて、大石寺五世日時法主が、日蓮聖人の伝記を書き残すにあたっ
て、その板本尊のことについて、一言も触れていないという矛盾をどうするの


全く何もかにもが矛盾に満ちていて、ハナシがメチャクチャである。あなた、
これをどう会通して説明するのですか?


私が会通いたしましょうか?

つまり日蓮聖人在世の身延山時代も日興・日目・日時各大石寺法主の時代も、
「本門戒壇の大御本尊」という板本尊は、存在していなかったということです。

不埒な弁解をする人たち
近年のことですが、主に日蓮正宗から離れた創価学会や正信会に在籍する人の
中に、本門戒壇板本尊「後世の偽造」疑惑をきびしく問い詰められて返答に窮
したのか?、次のようなことを言う人たちがいる。

「本門戒壇の大御本尊さまは弘安二年十月十二日に図顕されたときは紙幅の御
本尊だった。それを後から、大石寺の法主が板に摸刻したもので、もともとの
紙幅の御本尊は、大石寺の御宝蔵に収蔵されている」

しかしこの説は、日蓮正宗第六十七世阿部日顕法主が近年、総本山大石寺広布
坊で行われた法華講連合会・夏期講習会講義の席で、公式に否定している。も
ちろん、あなたも、こんな不埒な弁解は否定されるでしょうね?



 

つづき

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 9月 1日(木)19時08分53秒
返信・引用
  細井日達法主自身の自語相違説法

日蓮正宗第六十六世細井日達法主の説法によれば、弘安四年十一月の十間四面
の堂宇ができて以降は、本堂に安置されていて、参拝の信者はだれでも本門戒
壇板本尊を拝めたのだというのである。なんと秘蔵されていなかった、という
ことを公式に認めているのだ。

そうなるとまた矛盾が出て来る。まず細井日達法主自身の自語相違である。か
つて細井日達法主は、本門戒壇板本尊についてかく説法していた。

「広宣流布を待ってはじめて本門寺を建立、戒壇の大御本尊を安置し奉って事
の戒壇建立ということになるのでございます。それまでは戒壇の御本尊をおし
まい申しかたく護る。先師方が客殿の後ろの奥深くに戒壇の御本尊をお護り申
すということを仰せられております。

わが本山の先師方のこれが心でございまして、客殿の後ろに奥深く戒壇の御本
尊を蔵し奉る、しまっておく、広宣流布の暁までは、しまっておくということ
になる。・・・・戒壇の御本尊はどこまでも蔵の中にあるのでございます。

誰がみても今の奉安殿は外から見ても立派である。しかし戒壇の御本尊様のま
わりをご覧なさい。石である。石で囲ってあるきりで、蔵ではないか。そこに
何を供えてあるか。・・・シキミの花を供えるのが本意であります。

奉安殿の中にシキミがありますか。ないじゃあないですか・・・そのシキミは
客殿にあります。客殿にみなさまが(丑寅)勤行において二回目に唱える奉安
殿に向かって遥拝する、あそこにシキミがある。

だからこれを以て推していくと、戒壇の御本尊はどこまでも蔵の中にしまって
ある。蔵してあって拝むのは、外から遥拝する。ただ特別に内拝のために(戒
壇の御本尊の)そばまで行って拝めるというのである。だから今度はその戒壇
の御本尊のお出ましを願って、はじめてそこに本門寺の戒壇建立ということが
出来上がるのでございます。お出ましは先程から申すところの、いわゆる広宣
流布の暁である」(日蓮正宗機関誌『大日蓮』163号)

広宣流布の暁までは、本門戒壇板本尊を客殿の後ろの奥深くの蔵の中にしまっ
ておくはずなのに、身延山時代は蔵の中にしまっていなくて本堂に安置されて
いたというのは、明らかな矛盾ではないか。

そうならば、客殿の後ろの蔵に板本尊をしまっておくというのは、日蓮聖人や
日興上人の化儀ではないということになる。広宣流布の暁までは蔵の中に板本
尊をしまっておくはずなのに、宗祖・日蓮聖人や開山・日興上人自らこれを破
っていたということになる。

また、片一方で、広宣流布の暁まで戒壇の本尊を客殿の後ろの蔵にしまってお
く、これが先師方の心だ、と言っておきながら、もう片一方では、本山の陵夷
によって戒壇の本尊は御影とともに安置されていたが、その後、御宝蔵が大き
く造立してから戒壇の本尊をそっちに移した、などと言っているのである。

まったく細井日達法主の説法はまったく矛盾だらけである。

日蓮聖人一門の誰も戒壇板本尊の存在を知らない

身延山久遠寺の本堂に安置されていて、誰にでも本門戒壇板本尊が拝めたとい
うのなら、日興上人以外の五老僧や中老・下老の僧侶、信徒たちが皆、本門戒
壇板本尊のことを知らないはずがないではないか。

ところが、日蓮聖人一門の弟子僧侶・信徒のだれも本門戒壇板本尊の存在を知
らないのである。

だれも記録に書き留めていない。

消息文などを見ても、だれも本門戒壇板本尊のことについて、全く触れていな
いのである。

これは絶対におかしい。もし本門戒壇板本尊が身延山久遠寺の本堂に安置され
ていて、みんなが拝することができたというなら、こんなはずはない。

室町時代・中世以降、大石寺で本門戒壇板本尊の内拝を受けたとか、あるいは
本門戒壇板本尊の存在について記した記録や手紙、法門書が残っている。

たとえば大石寺十五世日昌法主の時代に、京都要法寺の僧侶・日陽師(のちの
要法寺法主)が登山して本門戒壇板本尊の内拝を受けているが、日陽師はこれ
を著書「祖師伝・付録」(日蓮正宗五十九世堀日亨法主編纂の『富士宗学要集』
に収録)の中で「日本第一の板御本尊」を拝したと記録に書き留めている。

あるいはこれと同時期の保田妙本寺貫首・日我師が大石寺の本門戒壇板本尊の
ことについて、自らの著書の中で述べている。これ以降、大石寺の本門戒壇板
本尊について述べた記録や手紙がかなり残っている。

したがって、日蓮聖人一門あるいは日興上人の時代もふくめて、だれも本門戒
壇板本尊を知らずに、何の記録も残っていないというのは明らかにおかしいで
はないですか。



 

3.まったく矛盾に満ちた本門戒壇板本尊

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 9月 1日(木)17時00分21秒
返信・引用
  人間の身長にほぼ等しいほど巨大な板本尊

大石寺の本門戒壇板本尊は、正面から見ると人間の身長ほどもある、巨大な板
本尊のようである。御開扉のとき、お厨子の扉を開ける僧侶の身長と、戒壇の
板本尊の丈はほぼ等しく見える。

日蓮正宗総本山大石寺四十八世日量法主の著書『富士大石寺明細誌』には、本
門戒壇板本尊の丈・幅・奥行きについて具体的な数字が書いてあるが、ここで
は本門戒壇板本尊は人間の身長とほぼ等しいほど、巨大な板本尊だ、とだけ書
いておきましょう。

あの巨大な板本尊を身延の草庵に安置できたのか?

日蓮正宗が「本門戒壇の大御本尊」が造立されたと主張する弘安二年十月当時、
身延山中で暮らす日蓮聖人の住まいは「草庵」であった。身延山中に十間四面
の堂宇(身延山久遠寺)が完成したのは、弘安四年十一月のことだ。

身延山には、現在、日蓮聖人の草庵跡が残っているが、決して広い敷地ではな
い。草庵のたたずまいも、日蓮聖人一門の当時の極貧状態の生活から推するに、
かなり質素なものだったであろう。そうすると、その質素な草庵のどこに「本
門戒壇の大御本尊」を安置できたのだろうか?

あれだけ巨大な板本尊なら、重量だけでも相当なものになる。

日蓮正宗六十六世細井日達法主の昭和52年5月26日の総本山大石寺大講堂
・寺族同心会における説法によれば、「本門戒壇の大御本尊」は楠木でできて
いて、半丸太状の板だという。

元日蓮正宗信徒(法華講員)だった文筆家・美濃周人氏は楠木の平均重量と『
富士大石寺明細誌』に書かれている板本尊の寸法から推計して、板本尊の総重
量を約280キロと計算しているが、少なく見積もっても、これだけ巨大な板
本尊の重量は百キロは下らないだろう。

戒壇本尊遷座の時の写真を見てもわかるとおり、十人前後の僧侶が本門戒壇板
本尊を台座にのせて、かつがないと運べないのだから。これだけの重量の巨大
な板本尊を質素なつくりの草庵に安置しようとすれば、この重量だけで底がぬ
けてしまう危険にさらされる。まるで矛盾したハナシであり、有り得ないこと
だ。

総重量百キロ~二百キロというと、大相撲の関取やプロレスラーなみだ。まし
てや美濃周人氏の計算のように280キロということになれば、元関取の小錦
・曙・武蔵丸に等しい。現代の建築物でも、これらの人の重量で建物が痛んだ
り、底がぬけたという話しをたまに聞くくらいだ。

身延山時代は秘蔵されていなかった本門戒壇板本尊

日蓮正宗では「本門戒壇の大御本尊」は「広宣流布の暁まで蔵の中に秘蔵する
御本尊で、篤信の信徒の願いがあれば特別に内拝を許している」と言っている
が、では弘安二年十月当時、身延山のどこに、本門戒壇板本尊を秘蔵していた
のか?


秘蔵する蔵など、身延山中にはなかった。蔵が身延山中にあったなどという記
録は全くない。

では草庵の中に秘蔵?していたということになるが、あの狭い草庵の中に、巨
大な本門戒壇板本尊を秘蔵?するなど、どう考えても不可能である。

ところが、である。弘安四年十一月、身延山中に十間四面の堂宇、つまり身延
山久遠寺が完成した後のことになると、日蓮正宗第六十六世細井日達法主の説
法によると次のようになる。

「戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山
で本堂に安置されていたものであります。・・・・・そして本堂で(戒壇の)
御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたの
は信者だけですから、だれでも直接に(戒壇の)御本尊を拝めたのです」(昭
和40年2月16日の大石寺大講堂・第1回正本堂建設委員会の席での指南)

「身延の日興上人御在住の時の十間四面の堂には・・・戒壇の大御本尊を安置
してあったことは明らかであります。その大御本尊を日興上人が大石寺の本堂
に安置され、大聖人生身の御影は御影堂に安置せられましたが、その後、本山
の陵夷により本堂御影堂が一堂となり、戒壇の大御本尊は御影とともに安置さ
れてあったようであります。しかしその後、御宝蔵が大きく造立せられてから、
大御本尊は御宝蔵にお移し申し、御影堂には日精上人の板本尊が安置せられた
と思われます」(昭和47年1月号『大白蓮華』に寄せた指南)


 

つづき

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 9月 1日(木)16時52分19秒
返信・引用
  鎌倉時代の当時、こうした技術を持った職人は、現代のようにどこにでもいた
わけではない。門下以外の職人を探すとなると、当時の大都会である京都や鎌
倉でなければいなかった。

漆や金(きん)を扱えるのは、一部の権力者や大伽藍を持つ寺院に限られてい
たわけだから、その職人も当然、そういう権力者が住んでいる京都・鎌倉でな
ければ、いないことは明らかだ。

したがって日蓮聖人一門が板本尊に漆加工や金箔加工を施そうとすれば、京都
か鎌倉か、その職人のところにまで、「本門戒壇の大御本尊」を運んでいかな
ければならなかったことは、疑いない。

しかしながら、当時の身延街道・東海道・鎌倉街道は、それこと山賊・盗賊・
落ち武者・浪人、追はぎ、引きはぎ、大規模な盗賊団たちが続出する、おそろ
しく治安の悪い危険に満ちた「けもの道」だった。旅する人たちはみな、必要
やむをえず旅立っていたのだ。しかも道路はよくない。東海道でもけっしてよ
い道ばかりでなく、雨でも降れば、それこそ目もあてられない。雨にあえばほ
かに通る道もないので、水田のようになった中をそのままわたっていったとい
う。

さらに川もまた大きな障害物であった。江戸時代でも東海道の大井川の渡しが
難所として知られていたが、この時代に橋があったところといえば、浜名湖の
入り口の橋本の橋、相模川の橋ぐらいで、その他の河川は舟でわたるか、舟を
つなぎとめたあぶなっかしい浮き橋でわたることになっていた。

だからひとたび大雨でも降れば、たちまち交通不能におちいる。なかでも急流
としておそれられた天竜川では、渡し舟がしばしば転覆したという。これは当
時の記録である「十六夜日記」や金沢文庫に蔵されている鎌倉時代の多数の手
紙などの書物に明らかだ。

しかも「本門戒壇の大御本尊」は一人や二人では、絶対に持ち運びができない。
それは近年行われた、正本堂遷座、奉安殿遷座、奉安堂遷座のときの写真を見
ればわかる。

日蓮正宗機関誌の『大日蓮』や信徒団体の機関紙を見ると、十人前後の僧侶が、
「本門戒壇の大御本尊」を台座にのせてかついて運んでいる姿が、丸写しに写
っている。

そうすると、弘安二年十月、やはり十人前後の僧侶が、あの板本尊をかついで
身延と京都か鎌倉を往復しなければならなかったことになる。

しかし弘安二年十月当時、日蓮聖人一門の僧俗が、「本門戒壇の大御本尊」を
かついで身延と京都か鎌倉を往復したなどという記録は全く残っていない。

そんな事実はないのである。
よく考えてほしい。弘安二年十月といえば、あの熱原法難の真っ只中のことで
ある。漆加工や金箔加工のために京都や鎌倉を往復するどころではなかった。
熱原法難の対応に追われて、日蓮聖人一門の僧俗は、おおわらわ、てんてこま
いだったのである。


 

日蓮聖人一門は金を入手できなかった

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 8月31日(水)19時55分44秒
返信・引用
  こう言うと「いやそんなことはない。絶対に弘安二年十月に造立されたことは、
間違いない」とあなたも言い張って来るでしょう。

では百歩譲って、漆加工は身延山中でもできたと仮定しましょう。
しかし「本門戒壇の大御本尊」を金ピカに仕上げるべく金箔加工は、絶対にそ
ういうわけにいかない。金箔加工をするには、当然のごとく、金(きん)が必
要になるけれども当時の日蓮聖人一門には、金を入手すべく財力も権力もなか
った。

米一合もない。餓死するかもしれない。僧たちも養うことができないので、里
に送り返した・・・諸御書の中で極貧の凄惨な生活を訴える日蓮聖人が、どう
して金を入手することができますか?

日蓮聖人一門の信徒が日蓮聖人に砂金等もふくめて金を供養したという御書や
記録は全く残っていない。

鎌倉時代の日本はちょっとした産金国で、黄金を中国大陸に輸出していた。著
名なのは奥州の砂金で、対馬の銀とならんでその名が中国大陸に知れていた。
それは金・銀の対価が大陸に比べて低く、そのために日本から金が大量に輸出
され、商船が南宋へもたらした金は、時には年に数千両にものぼったという。
(中公文庫「日本の歴史」より)

ところが、日本国内の市中には金が出回るといったことは皆無だった。金を入
手できたのは、ほんの一部の権力者。あとは莫大な財力を持った商人だけ。商
人たちは、金を南宋へ輸出していた。

さらに、入手困難な金を加工して金箔を施すとなれば、どれだけの莫大な費用
がかかるだろうか。

現代の金箔加工とはわけがちがう。その高価な費用の規模は想像がつかない。
がしかし、鎌倉時代の日蓮聖人一門に、その超高価な金箔加工を施す経済力は
なかったことだけは、まちがいない、と断言できる。

しかも当時の金を生産していた金山は、奥州の砂金だった。甲斐の金山や伊豆
の金山が開発されたのは室町時代以降のことで、日蓮聖人の時代には、これら
の金山はまだ未開発だった。

ならば日蓮聖人一門はそんな遠方の、しかも高価な奥州の砂金をどうやって手
にいれることができたというのか?そんなことは、物理的に絶対に不可能なこ
とだ。
すなわち漆加工や金箔加工の件は、本門戒壇板本尊が後世の偽造とする有力な
証拠に結びついている。

日蓮聖人一門に金箔加工ができた職人はいない
漆加工や金箔加工という技術は、誰にでもできるというものでは、もちろん、
ない。

石川県金沢市の箔研究所によれば、素人には、金箔の扱いそのものが、むずか
しいという。

さらに漆の上に金箔を塗る技術となると「二十年修行しても、できない人には
できない」ものであるという。それだけ、高度な技術で、少なくとも、誰にで
もできるものではないことだけは確かである。

そうすると、弘安二年十月に身延山中で漆加工や金箔加工を施した「本門戒壇
の大御本尊」を造立するとなると、当時の日蓮聖人一門の中に、漆加工や金箔
加工ができる職人がいなくてはならないが、そのような職人は、当時の僧侶や
信徒の中には、いないのである。

 

2.日蓮聖人一門に漆・金箔加工は不可能だ

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 8月31日(水)12時03分47秒
返信・引用
  道理に合わない板本尊の漆・金箔加工

日蓮正宗の公式見解によれば、弘安二年十月に身延山中で日蓮聖人・・という
より弟子の日法上人の彫刻で・・造立されたとしています。ということは、そ
のときに漆と金箔が塗られたということなのですが、しかし大石寺が発行して
いる「御書全集」を読んでも明らかなとおり、当時の身延山中で暮らす日蓮聖
人一門には、漆や金を自力で入手できるほどの経済力がなかったことは明白で
す。

当時の日蓮聖人一門は大変な貧しい生活をしていた。当時、漆や金・・特に金
・・を入手できたのは、ほんの一部の裕福な朝廷・公家や権力者、そしてそう
いう権力者の庇護をうけた大伽藍を持つ大寺院だけだった。否、権力者でも金
を入手するのは至難なことだった。

もちろん金貨といった、金を使用した貨幣もなく、加工する技術すらおぼつか
ない状況だったのである。いずれにせよ、当時の日蓮聖人一門が漆や金を入手
できるほどの経済力がなかったことは明らかなことです。漆や金が入手できな
いのに、何で本門戒壇板本尊が造立できますか?できるわけがないじゃないで
すか。

「いや、本門戒壇の大御本尊は大聖人さまが造立されたのだ」
と言うなら、当時の日蓮聖人一門が漆や金を入手できたという証拠を出すべき
です。


極貧の凄惨な生活をしていた日蓮聖人一門

身延山中で暮らしていた日蓮聖人一門は、それこそ最貧・極貧のきびしい生活
をしていたはずだが、そういう時期に、黒漆・金箔加工を施した豪華絢爛・荘
厳華麗な板本尊を造立できるわけがない。

江戸時代の民話にもあるそうですが、漆というものは、その時代においても相
当な高価なものであった。いわんや金箔をや。
したがって極貧の生活と豪華絢爛な板本尊は絶対に道理に合わないものだ。

身延山中で暮らす日蓮聖人一門の生活がどのようなものであったか、それは日
蓮聖人が執筆した諸御書に明らかだ。

「富木殿御書」「乙御前御消息」「兵衛志殿御返事」「上野殿御返事」・・・
・米一合もない。餓死するかもしれない。僧たちも養うことができないので、
皆、里に送り返した・・・日蓮聖人一門の窮状は、それこそ凄惨なもののよう
だった。

当時は、貨幣もそんなには流通していなかった。だから日蓮聖人の命綱は、信
者からの供養である食べ物や衣類、わずかばかりの銭であった。がしかし、そ
の「衣も薄く、食もとだえ」「もう死んでしまいそうだ」と。他のところの御
書では「書く紙すらもない」と述べている。

鎌倉時代でもかなり高価なものだった漆加工

ところが、だ。日蓮正宗総本山大石寺の「本門戒壇の大御本尊」御開扉に参拝
の信者が、「あんな立派な御本尊さまが鎌倉時代に建立されたなんて信じられ
ない」と驚嘆するほど、金ピカで黒光りする豪華絢爛な板本尊。

黒光りしているのは、板本尊の表面が漆加工されているからなのだが、この漆
加工について、石川県輪島市漆工芸美術館・漆器研究所に問い合わせると、さ
まざまなことを教えてくれる。

鎌倉時代にも漆器はつくられていたが、値段は?となると、漆の塗り方にもよ
るらしいけれども、厚く塗れば、当然、値段が高くなる。
現代の値段に換算すると、日本国内産のもので一貫目あたり、二十五万円から
三十万円くらい。漆を一桶使うと百万円もするという。

なぜこんなに高価になるかというと、ウルシの木から樹液を抽出して、漆加工
をするまで人手と手間がかかる、ということらしい。

さらに身延山周辺を調査する中、身延町役場観光課に問い合わせてみた。する
と「身延町周辺には、昔も今も漆加工の伝統は全くない」という。そうなると
弘安二年十月、七百年前の身延山中では漆加工そのものが不可能だったという
ことになる。


 

板本尊・漆加工と金箔加工

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 8月31日(水)11時56分25秒
返信・引用
  1.漆と金箔を塗り替えている本門戒壇板本尊

細井日達法主の説法
日蓮正宗第六十六世細井日達法主は、昭和47年11月20日の大石寺御大会
の説法で次のように言っている。

「・・・・それから後、再々、宮殿並びに御本尊様の御衣替えがございまして、
享保十五年(1730年)、日詳上人という方の時にまた修理させられており
ます。今から二百四十二年前のことでございます。

それから後、昭和六年、大聖人六百五十年遠忌の時にまた金箔を塗り直して衣
替えを致しました。今回あの正本堂のために今までの宮殿では小さいので、こ
こに改めて大きな宮殿となしたのでございます。それについて(戒壇の)御本
尊様に御衣替えを願って、漆を塗り、金箔を塗ったのでございます・・・」(
日蓮正宗機関誌「大日蓮」昭和48年2月号・「蓮華」昭和48年1月号)

ほかに、私たちのもとに、日蓮正宗の僧侶や信徒と思われる人たちから、メー
ルが寄せられていますが、その中に多数「必要に応じて戒壇の御本尊様は化粧
直しをしているのだ」

「正本堂建立のときに、戒壇の御本尊様は今のお姿になられたのです」
と書いてあります。これらはいずれも、先の細井日達法主の説法をふまえての
ものと思われます。

ま、いずれにせよ本門戒壇板本尊は今までの歴史の中で、化粧直しないしは衣
替えという名目で、漆を塗り替え金箔を塗り替えてきたことは事実と思われま
す。

漆とは、どういうものなのか
ではなぜ、こういうことをする必要があるのか?ということです。「必要に応
じて」と言えば、なるほど聞こえはいいですが、その「必要」とは一体、何で
すか?

そもそも漆とは、ウルシの木の樹液を原料にした、乾くとつやのでる黒色の天
然塗料ですが、なぜこれを木工製品や木製の工芸品などの表面に塗ったかとい
えば、そもそも腐らせないで長持ちさせるために塗ったのですよ。

つまり木は放っておけば、どんどん腐食していきます。それを防止するため、
つまり防腐塗料として木の表面に塗ったということです。

その強度はたいへんなもので、漆工芸の専門家の話しでは、硫酸をかけても、
全くびくともしないというのです。しかも日本でも漆工芸の歴史は古く、奈良
の法隆寺や正倉院に蔵している漆工芸品が最古のものだそうで、これらのもの
は漆を塗り替えたりせず、そのままの姿で残っています。

中国では漆工芸の歴史はもっと古く、三千年前からあるそうで、栃木県日光市
のうるし博物館には中国前漢時代につくられた漆工芸品が展示されています。

そうすると日本でも奈良時代の漆工芸品がそのままの姿で残っているのに、な
ぜ鎌倉時代に造立されたとされている--私たちはもっと後世の偽造と見てい
ますが--本門戒壇板本尊が、今までに何度も漆を塗り替える「必要」がある
のですか?

専門家が言う「硫酸をかけてもビクともしない」強度とは、たいへんなもので
すよ。ではその必要とは、本来の「腐食を防止する」目的ではない、と考えら
れます。そうすると、「見栄えを良くする」ためということですかね?

そうであるならば、「大石寺は参詣信徒をカネづると見ている」のではないの
か?というハナシになるわけですよ。


 

昔も今も身延山に自生の楠木はない

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 8月31日(水)11時45分58秒
返信・引用
  「本門戒壇の大御本尊」と称する板本尊が、楠木の巨大な推定百キロから二百
キロ前後ぐらい、最大推計値280キログラムの丸木でできている、というこ
とになると、少なくとも日蓮聖人在世当時の鎌倉時代において、身延山や周辺
において、楠木が生育していなくてはならない。

今とちがって、鎌倉時代はろくな運搬手段のない時代である。巨大な板本尊を
造立するのに必要な楠木を、わずかの日数の間に、はるか遠方から運んでこれ
るわけがない。政府や団体による山間部への大規模な植林などもない時代であ
る。

これについて私たちは、林野庁・地元の森林組合をはじめとして各地の木材の
専門家など、綿密な調査を行った。

その結果、昔も今も身延山周辺はおろか、富士、富士宮、富士山周辺の山間部
・平野部にいたるまで、自生の楠木は存在していないのである。

この楠木という樹木は、黒潮本流の影響で比較的温暖な高知、和歌山や対馬暖
流の洗う石川、福井等の西日本の沿岸地域のみに繁茂するもので、これは暖流
の影響で亜熱帯樹の楠木が自生することによる。

したがって冬になると、今でもかなりの積雪になるほど寒いところである標高
千メートルの身延山・七面山や日蓮聖人の草庵があったその周辺に自生の楠木
などあるわけがない。当たり前のことである。


室町時代以降、西日本から楠木が植樹された

わずかに身延・富士周辺の神社・仏閣などにおいて楠木が見受けられる。これ
は、私たちが調査したところ、室町時代以降において人の手によって植樹され
たものであることがわかった。

その謂われについて、森林組合や木材加工の専門家は、鎌倉幕府滅亡の後、建
武の中興の時代、後醍醐天皇を奉じて活躍した武将・楠木正成公の徳を慕って
関西地方から楠木が植林されたものが最初だと、述べている。

したがって、鎌倉時代には身延周辺に自生の楠木はなかった、ということにな
る。これはうたがいのない事実だ。

楠木が身延山にあると強弁する細井日達法主
この身延山周辺には身延周辺だけではなく、富士地方も含めて?─?自生の楠木
は昔も今も存在していないということは、かなり前から様々な人が指摘してい
た。

しかしこれでは日蓮正宗にとっては、はなはだ都合が悪い。鎌倉時代の身延に
楠木がなかったとなれば「本門戒壇の大御本尊」は後世の室町以降の偽作とい
うことの証拠のひとつに数えられる。

これは日蓮正宗としては認めるわけにはいかない、ということだろう。


身延山には楠木がない、という指摘に対して、日蓮正宗大石寺六十六世細井日
達法主は、法主登座以前の庶務部長時代の著書「悪書『板本尊偽作論』を粉砕
す」の中で、
「現に、身延のあたりには楠木があるではないか」

などと、何の根拠も証拠も示さずに強引に強弁している。さらに細井日達法主
は法主登座後の説法の法席では、かく言っている。

「身延の入り口の大野山本遠寺という寺がある。此れは身延駅から身延へ行く
手前に今 でもある。その寺にちゃんと千二、三百年前からの楠木が今でも生
きている。もしそれ が千年の木としても、大聖人様が七百年とすれば、まだ
三百年以上の木があったわけで ある。何もそれ一本というわけではない。ま
だ沢山、あの辺には古い楠木があったはず なのである。それを見てもわかる。
……」(昭和47年9月12日の日正寺・龍口法難会の説法会)


専門家は自生の楠木は身延山にはないと証言
私たちは、これがはたして事実なのかどうか、調査をした。まず身延山久遠寺
周辺の楠木についてだが、先に述べたように自生の楠木は存在していない。地
元の身延町森林組合の職員は身延山の楠木について、次のように証言している。

「身延山には自生の楠木はないとみてよいでしょう。現在、身延山には楠木は
あります が、それは戦後、どこかの寺が人工的に植えたものです」

つまり身延山に楠木はあることはあるが、それは七百年前からあるものではな
く、第二次世界大戦後に、どこかの寺の人が植樹したものだという。こんなも
のは当然のことながら「本門戒壇の大御本尊」が七百年前の宗祖日蓮聖人の時
代に造立された証拠になるわけがない。したがって大石寺六十六世細井日達法
主が著書「悪書『板本尊偽作論』を粉砕す」の中で、単純に身延山に楠木があ
ることだけを以て、「本門戒壇の大御本尊」が七百年前の宗祖日蓮聖人の時代
に造立された証拠にしようとしているが、とんでもない信徒欺瞞の詭弁であり、
大ウソであると断ずる。


大野山本遠寺が建立されたのは江戸時代初期のこと
さらにこの細井日達法主が昭和47年9月12日の日正寺・龍口法難会の説法で言
及している大野山本遠寺という寺は、日蓮宗の寺院で、江戸幕府の初代将軍・
徳川家康公の側室であったお萬の方の菩提寺として創建された寺である、とわ
かった。本遠寺の寺院境内地内には確かに楠木があるが、これはお萬の方の菩
提のために人工的に1本植樹されたものだという。これ以外にここに楠木はな
い。私たちの調査で、判明したことである。当の大野山本遠寺の住職も、その
ように証言している。

この大野山本遠寺の楠木が植樹されたのは徳川家康公の時代の四百年前のこと
で、宗祖日蓮聖人在世の七百年前などではない。だいたい、四百年前に創建さ
れた寺に千二、三百年前からの古い楠木が沢山あるわけがないではないか。昭
和47年9月12日の日正寺・龍口法難会の細井日達法主の説法もとんでもない大
ウソの欺瞞説法ということになる。

七百年前の身延山に楠木はなかった。これも本門戒壇板本尊後世偽造の明確な
証拠である。「本門戒壇の大御本尊」という仰々しい名前のニセ本尊を祭り、
信者を欺瞞して供養金を集めて平然としているばかりか、少しでも批判される
と、ウソを平気でついて欺瞞し、批判の目をむける人たちに対して、慢心だの
仏敵だのと騒ぎ立てる日蓮正宗の法主や僧侶らの腹黒い体質。こうしたことは、
社会的、道義的に絶対に許されないものだと考える。


 

ニセモノで信徒を釣る

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 8月31日(水)11時38分6秒
返信・引用
  我々は、元来、無宗教の者や日蓮正宗以外の宗教を信ずる者もおり、そうかと
いえば、日蓮正宗の現役僧侶・信徒や元僧侶・元信徒、かつて日蓮正宗の信仰
をたもっていたが、今は完全に日蓮正宗を棄てた者、日蓮正宗の宗門から破門
を言い渡された者・・・、さまざまな者がいる。これらの人たちは、人間とし
て、本来の生き方にようやく目ざめた方たちである。

「本門戒壇の大御本尊」や「二箇の相承」「日興跡条条事」などが本物である
などという架空の幻想・空想にしがみつく、日蓮正宗の者たちよ。君たちこそ、
一刻もはやく、バカげた幻想や空想から目覚めるべき人なのだ、ということに
気がつくべきなのだ。

弘安二年十月当時、身延山には自生の楠木はなかった

楠木でできている本門戒壇板本尊
日蓮正宗の信仰の命脈中の命脈である「本門戒壇の大御本尊」と称する巨大な
板本尊。 表面を黒漆で塗りたくり本尊の文字を彫下げて金箔加工を施した、
まさに金ピカで黒光りしたこの巨大な板本尊は楠木でできていると、歴代大石
寺法主が述べている。

「弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊を興上に親付し、万年広布流溢
の時、大戒壇に安置すべく堅牢の楠板に書写せられたり」(日蓮正宗大石寺五
十九世堀日亨法主の著書『富士日興上人詳伝』上巻・160ページ)


「未来建立の本門戒壇のために、とくに硬質の楠樹をえらんで大きく四尺七寸
に大聖が書き残されたのが、いまの本門戒壇大御本尊であり……」(同書下巻
・59ページ )
「戒壇の御本尊様は楠の板である」(昭和47年9月12日の日蓮正宗大石寺六十
六世細井日達法主の日正寺・龍口法難会での説法)


さらに五十九世堀日亨法主が編纂した膨大な日蓮正宗古文書の史料集『富士宗
学要集』に掲載されている、江戸時代の大石寺十七世日精法主や四十八世日量
法主が書いた著書・文献でも同様に、楠木でできている旨が記してある。


さらに六十六世細井日達法主は、この巨大な板本尊の形状についてかく言って
いる。

「戒壇の御本尊様は楠の厚木です。表から見るとこういう板です。ところが此
れは大変な板です。ただの板ではないのです。こういう板になっているのです。
だから後ろから見ると丸木です。丸木を表だけ削ってあるわけです。大変なも
のです。重たい。上はただ三寸そこそこの板ですけれど、まわりは丸木です。
まん丸い木です。その丸い木を、前を削って板にしたにすぎません・・・」(
昭和52年5月26日の大石寺大講堂・寺族同心会の指南)


つまり細井日達法主の説法によると「本門戒壇の大御本尊」は完全な板ではな
く、丸木を表だけ削って、前の表面だけ板にした、いわば半丸太・半丸木の本
尊だというのである。

これは昭和47年10月の「本門戒壇の大御本尊」の正本堂遷座に参列した日
蓮正宗僧侶の証言とも一致する。大石寺奉安堂の「本門戒壇の大御本尊」は半
丸太・半丸木の本尊だということは、ほぼ疑いのない事実と見ていいだろう。


ではこの半丸木本尊とも言うべき「本門戒壇の大御本尊」の重量を試算してみ
よう。寸法は日蓮正宗大石寺四十八世日量法主が書した『富士大石寺明細誌』
に縦・横の寸法が書いてある。縦は約143センチ、横は約65センチである。
元日蓮正宗信徒(法華講員)の文筆家・美濃周人氏は、楠木の平均重量を1立
法メートル当り1.2トン(森林組合調べ)半径を約32.5センチで計算し
推計している。

その計算式は
32.5×32.5×3.14÷2×143÷1000000×1200
となる。この計算式で算出すると、推定280キログラム。


これだけのものは、巨漢の横綱力士やプロレスラーでも一人では運べない。実
際に昭和47年10月や平成10年4月に行われた「本門戒壇の大御本尊」遷
座の写真を見ると、十人前後の僧侶が本門戒壇の大御本尊を蓮台に乗せて担い
でいる様子が見て取れる。そうしないと運べないだろう。他の人の推計でも、
本門戒壇板本尊の重量は少なく見積もっても百キロ以上、二百キロ前後ぐらい
とする計算もある。






 

すべてがニセモノ

 投稿者:日蓮正宗 ウソ語録  投稿日:2016年 8月31日(水)11時26分3秒
返信・引用
  日蓮正宗は宗教詐欺である。最大の理由は、「本門戒壇の大御本尊」なるニセ
本尊を「日蓮大聖人さまが造立された」などと詐称していることに他ならない。
そればかりではない。二箇の相承も日興跡条条事もニセ物である。これらはい
ずれも本物である証拠は何一つないのだ。ニセ物であるという証拠は山のよう
にある。

日蓮正宗は法主も宗務院役層も末寺住職も法華講役員も信徒もだれひとりとし
て「本門戒壇の大御本尊」や「二箇の相承」「日興跡条条事」を本物であると
する証拠を出せない。・・・これらのものが本物であるとする証拠を出したも
のは、過去も現在もひとりもいないのである。・・もちろん未来もいようはず
がない。


そして本物であるという証拠をひとつも出さないで、ただ「本物であると信じ
よ」と信じることだけを強要する。そればかりか、「ニセ物である」と指摘し
た人たちの揚げ足取りだけをして、真偽そのものをごまかそうとする。あるい
は所属がどうの、宗教がどうの、関係ないハナシを持ち出してきて本筋をごま
かそうとする。

これは詐欺師の論理である。日蓮正宗という宗教は、詐欺宗教なのである。こ
んなバカげた日蓮正宗の者どもを、徹底的に粉砕し、こういうふざけた詐欺宗
教こそ、解体せしめるべきなのである。

日蓮正宗の諸君よ。「本門戒壇の大御本尊」や「二箇の相承」「日興跡条条事」
なるものが本物であるとするならば、その証拠を出せ。

その証拠を出せば、すべてが終わるのであるが、誰も出さないのである。いや、
誰も出せないであろう。




 

柳原滋雄に 東京高裁が厳しい司法の鉄槌!

 投稿者:緊急会合  投稿日:2016年 8月25日(木)11時39分58秒
返信・引用
   去る八月四日午後三時半、東京高等裁判所は、妙観講々頭・大草一男氏(法
華講大講頭)が自称「公平なジャーナリスト」で創価学会幹部(言論部長・主任
部長等を歴任)の柳原滋雄を、名誉棄損の不法行為で訴えていた裁判の控訴審
判決で、一審に続いて、控訴人柳原に対し三十万円の損害賠償とインターネッ
ト上の記述の削除を命じた。

 この裁判は、平成十九年以降、控訴人柳原が自ら運営するホームページ「コ
ラム日記」に、あたかも大草氏に女性スキャンダルや盗聴の関与という犯罪行
為があったかのごとく度々書き散らしていたことに対し、平成二十三年に損害
賠償を求めて大草氏が訴えを起こしていたもの。

 昨年八月に言い渡された一審判決では、控訴人柳原の記述内容には公共性や
公益目的がなく、さらに真実性や相当性(※たとえ真実でなくとも、柳原がそ
れを真実と信じてしまっても仕方のない事情があつたか、どうか)においても、
柳原の主張を一切認めることなく、大草氏側の完全勝訴であった。

 その一審判決を不服として柳原は控訴したのだが、今回の控訴審判決は、さ
らに厳しく柳原を断罪した。

 判決は、まず柳原の当該記事に公共性・公益性があったか、なかったかにつ
いて言及。女性スキャンダルはもとより、盗聴への関与疑惑についても、柳原
の記述は大草氏に対する個人攻撃を目的としており、「これらの記載に公共性
及び公益性を認めることはできない」と切って捨てた。

 さらに女性スキャンダルについては、柳原の下卑た臆測に対し、「そのよう
な事実を認めることはできない」と真実性を否定。盗聴への関与疑惑について
も「(大草氏が)盗聴に関与したという事実を認定することはできない」と真実
性をキッパリ否定した。

 そして女性スキャンダルと盗聴への関与疑惑の相当性については、「先行訴
訟ではいずれの裁判所も相当性を認めていないのだから、控訴人(柳原)が当該
事実が真実であると信じるには、従前よりも増して、さらなる根拠が必要なの
である。

 しかし控訴人は事実の裏付けとなる新証拠を提出していない」「先行訴訟の
裁判所も、証拠を検討した上で相当性なしと判断したのである。よって控訴人
の主張には理由がない」と、これまた明確に相当性を否定したのである。

この判決により、今後、柳原の記述を利用したり、柳原と同様の誹謗中傷を
ネット上で記述する者も、悉く名誉毀損の不法行為となることが確定した、と
いえよう。

 狂信的学会員は肝に銘ずべきである。なお、今回の裁判で大惨敗した柳原は、
さっそく同日「コラム日記」を二度も更新し(決文の)冒頭一ページ目に(代理
人弁護士の名前の誤りなど)三カ所もの誤記」があるから「裁判宮は、いい加
減な姿勢で書いた」「まともな審理などしようとさえしていない」などと、子
供だましの裁判所批判を書き殴っている。

 これが「公平なジャーナリスト」の弁かと、程度の悪さに笑いが止まらない。


 

自称ジャーナリストの学会幹部に司法の鉄槌

 投稿者:池田大作の現状  投稿日:2016年 8月14日(日)18時00分6秒
返信・引用
   現役の創価学会幹部(壮年部支部長=男子部新宿分区主任部長・同新宿区言論
部長)であるジャーナリスト・柳原滋雄が、 創価学会と対立する日蓮正宗の
信徒組織・法華講の中で、もっとも厳しく創価学会と対峙している 妙観講の
講頭である大草一男氏を、自らが主宰するインターネットのホームページで誹
謗した事件の名誉毀損に基づく損害賠償等請求訴訟で東京地裁は8月5日、被
告・柳原の不法行為責任を認定。

 原告の大草氏に30万円の賠償金を支払うよう命じる判決を言い渡した。

 もともと柳原は、今回の訴訟で問題となったホームページや、創価学会の外郭
企業である潮出版社・第三文明社が発行する月刊誌等で 創価学会に批判的な
人物や団体への攻撃・非難を恒常的にくりかえしてきた人物として知られてお
りすでに紹介たように、平成25年11月には、矢野穂積東村山市議に対する名誉
毀損事件で不法行為責任が認定され、損害賠償20万円の支払を命じる判決が確
定している。

 同事件とは、創価学会が執拗に「自殺」と主張する、創価学会・公明党に批判
的な政治活動を行っていた朝木明代東村山市議の転落死事件に関するホームペ
ージ上の記述で、朝木市議の同僚だった矢野穂積東村山市議を創価学会が主張
する「自殺」へと朝木市議を追い込んだ「重要容疑者」であるかのように記述
したことから矢野市議が名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟を提訴。

 東京地裁・東京高裁は、柳原の記述の真実性と真実相当性(真実と信じるだけ
の相当な理由) を認めず名誉毀損の成立を認定柳原に対して損害賠償の支払
いを命じ、同判決は最高裁で確定した。

大草氏が提訴した今回の名誉毀損事件で問題となったのも、柳原のホームペー
ジ上の記述。そこで柳原は・・・

   ①大草氏には複数の女性スキャンダルがある、
   ②妙観講は盗聴を行う謀略集団であり、大草氏も盗聴に関与していた ・

 などと複数回にわたって大草氏と妙観講の名誉と信用を毀損する記述を
発信していた。

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
東京高裁 判決  八月五日

主文
1、本件控訴を棄却する。
2、被控訴人の附帯控訴に基づき、原判決中主文第2項、第3項を次のとおり変
更する。

(1)控訴人は、別紙1の第1項記載のホームページ上の、同別紙の第4項記載
の文言を削除せよ。
(2)被控訴人のその余の請求(当審における予備的請求を含む。)を棄却す
る。

3、訴訟費用(控訴費用、附帯控訴費用を含む。)は、第1審、第2審を通じて
これを40分し、その1を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-

 

創大教授・宮田幸一の呆れた本尊義を破す

 投稿者:新型プリウス  投稿日:2016年 8月 3日(水)22時15分14秒
返信・引用
  すでに述べてきたように、日蓮世界宗創価学会は今回の会則改正によって、大
きな矛盾を抱えた。

それは、会員所持のニセ本尊はじめ学会が認定した本尊の元の御本尊は、本
門戒壇の大御本尊を書写した御本尊であるため、大御本尊を否定した以上、学
会の全会館・全会員宅の本尊も否定したことになる、との問題である。

 そこで小欄では、この矛盾への解消を試みる、宮田幸一(創価大学教授・本
部教学室アドバイザー)の本尊に関する邪義を取り上げてきた。

 宮田の見解はと言えば、終始、諸文献を牽強付会な解釈によって悪用したり、
さらには以前、創価学会が仏敵と評した日蓮宗などの輩(やから)が、戒壇の大
御本尊を否定しようとした際に持ち出した邪義を蒸し返すなど、目に余るもの
がある。

 また、極めつけは「創価学会の本尊を含む日蓮正宗の法主が書写した本尊は、
弘安二年の戒壇本尊を書写した本尊であるという議論は、大正時代になって初
めて生じた議論」というのである。

 小欄ではこれらの邪義を、二三、取り上げて、日蓮正宗の正法正義(特に戒
壇の大御本尊)に対する宮田の批判が邪推に過ぎないものであり、宗祖日蓮大
聖人や日興上人をはじめとする御歴代上人の御指南に大きく背反していること
を明らかにしてきた。

あらためて言えば、大聖人は末法救済のために、ご自身の御魂魄を一閻浮提
総与の本門戒壇の大御本尊として御図顕あそばされた。

その戒壇の大御本尊と一体不二の大聖人の御内証は、第二祖日興上人に唯授
一人の血脈によって御相伝され、以来、現御法主日如上人に至るまで、一器の
水をそのまま一器に写すがごとく連綿と相伝されている。

ゆえに、日蓮正宗では、唯授一人の血脈付法の御法主上人に、大聖人以来の
御本尊についての権能が在すのであり、御法主上人以外に御本尊書写は許され
ない。

これは七百年来の伝統であり掟(おきて)である。また、日興上人をはじめ、
御歴代上人の御本尊書写とは、単に戒壇の大御本尊のお文字や御相貌を書き写
すことでは、けっしてない。

血脈相伝を受けられた時の御法主上人が、大御本尊と一体不二の大聖人の御
内証をお写しされることである。

したがって、大聖人の御化導は、心法より色法を表わされ、また色法より信
奉する一切衆生の心法へ成仏の方途を施されるのであり、日興上人をはじめ、
御歴代上人の御本尊書写とは、戒壇の大御本尊に具(そな)わる御本仏日蓮大聖
人の御内証と一切衆生を救済される御本仏の功徳を、そのまま写されることと
拝するのである。

 以上のことは、血脈付法の御歴代上人に信を取ってはじめて拝することがで
きるため、当然ながら、唯授一人の血脈を否定し、戒壇の大御本尊を対象外と
した創価学会に席を置く宮田には、微塵も理解ができない。

 その結果、邪義を唱えるのである。わかったふりをして、自らの無知をさら
け出しているだけなのである。

 さらに宮田は、「将来の計画として、創価学会は日蓮本仏論を捨て、釈迦本
仏論に変更する準備をしている」という仰天発言をしたというから、近々また
奇怪な邪説を述べるかもしれない。

このような大謗法新興宗教と化した異流儀団体・日蓮世界宗創価学会を、我
々はどこまでも破折し、宮田のような創価学会の走狗を徹底して断じていきた
い。

 最後に、学会認定の本尊の元の御本尊(日寛上人や日昇上人等の御歴代上人
御書写の御本尊)は、すべて戒壇の大御本尊を御書写あそばされた御本尊であ
り、会則改正によって戒壇の大御本尊を受持の対象外とした以上、どんな理由
を付けたとしても、学会員が祀(まつ)る本尊はすべて対象外となったとことを、
再度、明記して、宮田の本尊に関する邪義への破折を終えたい。


 

応援してください。

 投稿者:佐藤芳明  投稿日:2016年 4月18日(月)21時47分8秒
返信・引用
  法忍寺所属の法華講です。学会と法論して負けちゃいました!応援してください!ysato2009@kmf.biglobe.ne.jp 08034708950  

怪文書『フェイク』を徹底糾弾

 投稿者:学会を切る  投稿日:2016年 3月19日(土)21時42分56秒
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  怪文書『フェイク』によると、創価学会の青年部の者たちが、末寺御住職の所
へ行って「対論」と称する行為をして、「徹底糾弾」したとのことです。その
内容は、唯授一人の血脈相承に対する難癖ですが、所詮は自分たちが、唯授一
人血脈相承を理解することも信じることもできない不信心者であることを、得
意になって吹聴するだけの、陳腐なものだったようです。

 それも、あくまで怪文書の内容を一往の前提としてのことですから、実際に
は「徹底糾弾」などというには程遠い「対論」であったことは、容易に想像が
つきます。

 いずれにしても、学会青年部の側では、大石寺の正当性を否定したいような
のですが、笑止千万です。

 「大石寺に伝わってきた仏法は正統ではない」などと、「その口が言うか!」
と問い糺したいものです。

何故なら創価学会は、平成三年に破門されるまでは、他でもない日蓮正
宗を根本の拠り所として自らの正当性を主張してきた集団でしょう。

 それは、日蓮正宗が大聖人以来の正しい本尊・教義・歴史を伝える、唯一の
正統門流だからこそ、ではありませんか。

 されば、日蓮正宗を抜きにして、創価学会は発足することすらできなかった
わけですから、道理からいえば、日蓮正宗の"正当性"を頭から否定することは、
自らの正当性どころか存在をも根こそぎ否定することになりますが、如何。

 また、長い歴史の中で僅かに遺された文献、不十分な史料のみを根拠に、重
箱の隅をつつくように宗門を批判しても、それは邪推でしかありません。

 その一々については、過去に宗内において逐一破折済みですので、ここでは、
彼らの誤った物の見方について指摘しておきます。

 彼らが得意になって挙げる「稚児法主」などという批判ですが、"年齢"だけ
を根拠に"資質"を否定せんとする前に、いい年をした創価学会首脳幹部がコロ
コロと教義を改変して平然としている事実を、どう考えるのでしょう。

 これら創価学会首脳部の壮年など、御授戒を受けたばかりの新生児にも劣り
ます。

 疑う心を持ち合わせない赤ちゃんは、毒気深入の愚者に百千万億倍勝れてい
る、と言えるからです。

 また、時空を超えた仏の教説を、全て歴史的な枠から判断しようとすると、
仏法そのものがわからなくなります。『三大秘法抄』の「此の三大秘法は二千
余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相
承なり」(御書一五九五頁)との御金言も、彼ら学会青年部の見方からすれば、
「二千余年前のインドで、大聖人が釈尊から相承されるはずがないから、これ
は信じられない」ということになるでしょう。

 要するに罪業深重の彼らは、自我偈に「是の諸の罪の衆生は悪業の因縁を以
て阿僧祇劫を過ぐれども三寳の名を聞かず」 (法華経四四一頁)

 とあるとおり、三宝尊が在しましても、その御姿が見えず、御声も聞こえな
いのです。「稚児法主」だ、「管長選挙」だと云々する以前に、三宝尊が見え
ない我が身を嘆き給え、創価の青年よ。

 さあ、今日も折伏に打って出るゾ!

 

破折対談

 投稿者:学会を切る  投稿日:2016年 2月18日(木)21時25分40秒
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  福本    最近のネット情報では、【池田名誉会長から「妙法のジャンヌダルク」
と言われた坂口婦人部総主事が解任され参議に回されました。聞くところでは、
正木氏解任の後、婦人部総主事の坂口、八矢、秋山さんらが原田会長のところ
へ行き、「今回の理事長交代の件ですが、婦人部は何も知らされていませんで
した。安保法制の問題も婦人部には何の話もありませんでした。どうなってい
るんですか」と詰め寄ったら、即座にカットされたというのです。

 具体的には、坂口さんは婦人部総主事を解任され、今は参議だとか。正木一
派の梶岡、遠藤、大泉、芝田、山本、新堀ら各副会長、寺西学術部長、正木理
事長自身の解任に続いて、ついに婦人部の最高幹部まで更迭されてしまったわ
けです】とあります。

小多仁      あの、池田が絶対的に信頼していた坂口幾代さんまでですか!
ところで、次期会長の本命だといわれる谷川佳樹主任副会長についてはあまり
伝わってきませんが、どんな人柄なんでしょうか?


福本  谷川については、経歴は知られていても人柄は知られていませんね。
私が東大総合委員長時代の人事で、エーッということがありました。東大には
総合委員長がいて、その下に学部ごとに委員長、さらにグループ長、部員と続
く組織があり、駒場教養学部時代は、文一、二、三、理一、二、三の六つに分
かれていました。

 谷川は私が博士課程にいた時に、経済に進学するコースの文二に入ってきた
ので、彼を次のグルー
プ長にしようと執行部間で話し合っていたところ、文二の中から「谷川の下で
は絶対に嫌(いや)だ」という声が上がった。

 彼は、先輩にはよいが後輩には受けがよくないタイプだったのです。では、
谷川をどうするか、という話になった。文一は法学部で司法試験に取り組むタ
イプの学生なので、あまり学内役職に付きたがらない。

 そこで谷川を文一に送って人事問題を収めた記憶があります。また、『中央
ジャーナル』二〇一一年十二月二十五日号では、〈早くも始まった創価学会次
期会長の『恐怖政治』〉と題して、谷川に対する批判記事が報道されていまし
た。


小多仁  本当に「自界叛逆難」になっているようですね。

福本   日蓮大聖人の仏法から逸脱(いつだつ)し、戒壇の大御本尊を否定し
たり、日蓮正宗に敵対している結果でしょう。それに対し我々日蓮正宗の正信
の信者は、池田という虚飾の師匠と訣別し、世界の人類を救う道を歩んでいけ
る果報者の集団です。ますます意気軒昂(けんこう)に、折伏を進めて世界も日
本も洗濯していきましょう。

 

宗務広報No、1255

 投稿者:あんぽ柿  投稿日:2016年 1月15日(金)19時57分1秒
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  (日立市)光顕寺が宗門に返還され正常な宗教活動を再開

 本日、宮原委道住職が光顕寺に赴任し、宗門末寺の正常な宗教活動を再開し
ました。

 光顕寺元住職であった川田恭顕は、住職罷免処分後も寺院建物に居すわり不
法占拠を続けたため、昨年10月14日、光顕寺(宮原委道住職)は、同人に対し寺
院建物明渡しと不法占拠期間中一か月当たり150万円の賃料相当額の損害賠償
を求めて、水戸地裁に提訴しました(平成26年10月23日付お知らせ参照)。

 この訴訟手続は既に終結し、昨年12月17日に判決が言渡される予定でしたが、
判決に先立って裁判所の勧告による和解が進められてきました。

 光顕寺(宮原委道住職)は、川田が寺院建物から退去することが絶対的条件で
あり、早期にこれを実行するのであれば、損害賠償の支払いを免除したうえ、
和解によって訴訟を終えることもやぶさかではない旨を裁判所に回答しました。

 これを受けた裁判所の勧告に対し、川田はこれまで訴訟で争ってきた態度を
一変させ、寺院建物から退去する意向を示したため、その他の付帯事項も含め
て、去る10月26日に裁判上の和解が成立し、光顕寺が明渡されました。

 訴訟提起から僅か一年余りで事件が解決したことは、関係各位の尽力もさる
ことながら、川田の違法性・不法性が顕著であったためです。

 このことは訴訟の中でも浮き彫りとなっていましたが、和解においても、裁
判所は光顕寺の請求どおりに、川田を退去させる方向で調整し続けたことから
も明らかであり、かかる裁判所の姿勢に鑑み
れば、仮に判決となった場合でもどのような結論となったかは見易いところで
す。

 しかし、判決で光顕寺が勝訴しても、その後の上訴や強制執行に要する時間
等を考慮すれば、むしろ今回の和解によってこれほど早期のうちに光顕寺の奪
還を実現したことこそ、誠に適切な事件処理であったと確信するものです。

 もとより、和解とはいっても、これは裁判手続上に限られたものであって、
信仰上、川田の折伏に関する不正行為や宗務院への出頭拒否、その後の離脱の
画策などの一連の所業を些かも容認したものでないことを、念のため付言いた
します。

 なお、光顕寺が復帰したことに伴い、光顕寺事務所(日立市幸町)は閉鎖いた
します。

      以上


 

特別御供養趣意書

 投稿者:ニコラス・ケイ  投稿日:2015年12月23日(水)18時54分30秒
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  宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年を慶祝して御報恩の御供養を

宗祖日蓮大聖人は、貞応元年(一二二二)二月十六日に出生され、末法万年にわ
たる一切衆生救済の南無妙法蓮華経の大仏法を建立あそばされました。

来たる平成三十三年は、日蓮大聖人の御聖誕から八百年目の大佳節に当たります。
これを慶祝するため、本宗に宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念局を設置し、
次の記念事業を実施することとなりました。


一 宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝大法要及び記念法要

二 法華講員八十万人体勢構築の推進

三 総本山三門大改修、五重塔・諸堂宇修復工事及び関連事業

四 記念出版

 この記念事業のうち、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝大法要は、末法の御
本仏日蓮大聖人の大慈大悲に報恩謝徳申し上げ、本宗僧俗一同、未来広布に精
進することを誓う甚深の意義を有する法要であります。

 次に、御法主日如上人猊下より賜った法華講員八十万人体勢構築の御命題の
推進は、広宣流布実現のため、本宗僧俗にとって身命を賭して精進すべき重大
な使命であります。

 また、総本山三門は、正徳二年(一七一二)に第二十五世日宥上人が建立を発
願され、徳川六代将軍家宣公より富士山の巨木七十本と同正室天英院殿より黄
金一千二百粒の寄進を受け、これに第二十四世日永上人ならびに日宥上人より
の浄財、総本山の地元や江戸三箇寺をはじあとする全国末寺僧俗の御供養を合
わせ、五年の歳月を経て享保二年(一七一七)八月二十二日に完成しました。建
立以来すでに二百九十八年が経過し、その間、昭和四十一年(一九六六)には静
岡県の有形文化財に指定されました。

 五重塔は、第二十六世日寛上人が、天英院殿と共に建立を発願して基金を残
され、その後、五代の御法主上人が志を継承して、第三十一世日因上人が諸国
を勧化された浄財と備中松山藩主板倉勝澄公の寄進により、寛延二年(一七四
九)六月十二日に落成しました。以来、今に二百六十六年、その間、昭和四十
一年には国から重要文化財の指定を受けています。

 これら総本山の三門・五重塔をはじめ重要な諸堂宇は、近い将来発生が予想
される南海トラフ巨大地震に備え、耐震・耐火のための大改修ならびに修復工
事を施すことが急務であります。

 また、大聖人御聖誕八百年の記念出版は、本宗における今後の興学布教にと
って重要な事業です。

慶祝記念局においては、これらの記念事業を宗内僧俗の総力を結集して完遂し、
平成三十三年(二〇二一)の宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の大佳節に供え奉るこ
とといたしました。

 記念事業の資金については、宗内僧俗御一同よりの特別御供養の浄財をもっ
て充てることとし、全国法華講員各位からの特別御供養は、総裁日如上人猊下
より法華講連合会に勧募の一切が委任されました。

 全国法華講員各位には、このたびの記念事業の意義を深く御理解の上、御法
主日如上人猊下の御もとに、尊い浄業である御供養に参加し、もって現当二世
にわたる福徳を積まれますよう念願いたします。


            宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念局

 全国法華講員各位
 

宗務広報 №1249

 投稿者:ニコラス・ケイ  投稿日:2015年12月23日(水)18時33分33秒
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  堅持院(兵庫県西宮市)、 宗門ヘ返還

これまで正信会問題によって、昭和55年より不法占拠されていた

六甲山堅持院が、 34年ぶりに宗門へ返還されました。

これは、同院元住職であった渡辺広済が本年6月13日に死去したことに

より、これを機に宗門へ返還されたものであります。

なお、同院は、日蓮正宗本来の正常な宗教活動を直ちに再開いたしました。

 

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