teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


縄文人とは

 投稿者:chikara  投稿日:2018年12月 3日(月)15時24分10秒
返信・引用
  邑南町図書館・河瀬文庫から見えてくるもの。

 縄文人は鬼刀禰(おおとね)と名乗り。九州北部・福岡市博多区「板付遺跡」花粉の直径(厚さ)から紀元前17世紀には、稲作がおこなわれていた(高知大学中村教授)。
縄文人は台風の接近をしっていた。接近を知らせてくれたお礼に「土偶」をつくり祀った。土偶の名は「おかみの声(若い娘の)」文字にすると雨カンムリに龍。古事記に「於迦美娘」と表記がソレである。だから土偶は、若い女性の裸体であり口を開けて声を出している姿。土偶はインド(鬼子母人)やメソポタミアでも確認されている。外務省の発表の「サイクロン移動経路図・何年かの集計」にも当てはまる。古代製鉄遺跡のつくりは円形(実際は球体の上半分)で「通風孔・出入り口の円筒状」遺跡穴の中心部から夜空を見ると北極星が中央にくるよう設計。穴は北向き。西側には山があり西風が入りこまぬように。東からの風通よく障害物ない。台風やサイクロンは時計と反対回りに風が吹く。南方面から遺跡に接近すると真東からの風が吹く時のみ穴に吹き込まれた時若い娘の声(音)が発生。笛の原理。同じ遺物としては、円墳・前方後円墳の円の部分。ということは、古墳と呼ばれているものは製鉄たたら遺跡であり鬼刀禰人は穴に住んでいた。季節や1年というのも知っていた。北極星を他の恒星が一周すると1年。エジプトのピラミッドの通風孔・通路も同じ造りである。ということは、縄文人は倭人とも、海人、東アジアのツングース(鬼瓦)騎馬民族(十士族同盟)。西シベリアの遺跡から鉄剣が出土あり。「シュメール人」と言われるのも鬼刀禰人=縄文人。メソポタミアで千年つづいた最古の王朝を倒したのも鬼刀禰人(紀元前15世紀の出来事)。紀元前12世紀ユダヤのソロモン王の名言「鉄は赤い土からとる」。
あと1つ、火を熾すのに恒星を短針と日本では春~秋の良く晴れた日に北極星の反対側にガラスレンズをむけていたのではないかと思われる。「火つけ石」を扶余の秦氏が京の嵐山で発見したのが、7世紀の終わり~8世紀のはじめ。
「雨」-->「天」。  「龍」ーー>「神」。 「鬼」-->「大」。
「穴」-->「中」。 これが「行基・人麻呂・不比等」が右の字を造った。
なぜかは「書く墨」をつくるのに、火を熾し木を燃やし「すす」を集めて「植物の汁」で固めてつくる。墨は貴重品であり。燃やす木もなければ、「火」も熾せない。木綿を機織りして「布」や楮をすいて「紙」をつくるほうがはるかにたやすい。*昭和36年に平城宮跡から2万点の木簡がでたのはおかしい。奈良に都など存在しなかった。
 
 

作業開始

 投稿者:chikara  投稿日:2018年11月26日(月)19時18分49秒
返信・引用
   3週間ぶりに1台のPCが復活した。何度復元作業したか。
その間に市内・歴史資料館へ500ギガの本のコピーデータを寄贈できた。

 今日、「古事類苑22外交部」をデジタル化できた。
國名表示がおもしろい。
中国の表示は、「支那古代」とような表示。
ポルトガルーー>葡萄牙。 スイスーー>端西。 スペインーー>西班牙。
ベルギー -->白耳義。 デンマークーー>丁抹。

 

大堤オオツツミの測量設計は大坂 間重富?

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 9月28日(金)05時40分45秒
返信・引用 編集済
  浜田藩の殿様は老中職であった。

寛政時代。天文方(日食の観測)で、測量技師(長崎沿岸の測量)、こよみの研究や寛政の改革に参加。

現在の浜田市三隅町大字「古市場・大堤」、邑智郡邑南町大字「淀原・大堤」の測量、設計は「間重富ハザマシゲトミ1756~1816」か?
 

次ぎの大づつみ

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 9月16日(日)13時25分36秒
返信・引用 編集済
  「三隅郷(岡崎郷)古市場・大堤(おおづつみ)」原田(清茂・清右ェ門)家出資により
完成。
次ぎの大づつみの計画。現在の邑南町大字「淀原」字中山。

 浜田藩の出羽イヅワ代官米山七郎兵衛ヨネヤマヒチロベエの探査地であったが、会津屋八衛門の「抜け荷」事件で当初の計画金より大幅に資金が削減された為、1820年に完成をみるも数年で土手が切れてしまった。
 

「郷土石見」の紹介と「原田勘四郎」の子孫

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 8月31日(金)16時45分10秒
返信・引用 編集済
  津和野町青原アオバラの「原田家」のその後と津和野藩と浜田藩の「借入金とその精算の行くへ」の研究。浜田藩は初代勘四郎より借りたお金は、周布・鍋石村「一ノ瀬鉄山の経営」と「三隅町古市場フルイチバの土地」を代償としている。寛政年間に移動(青原~古市場)。原田家の財産分野は、「二代目勘四郎」が鉄山。弟「清茂」が、古市場の「墾田開発」。津和野藩は「原田家」の借入金を、激動の「明治維新」の中で、踏み倒している。
「原田家」の難儀とは「三隅町役場」が「原田家」の土地を買い取りにかかった費用である。内訳は、現在①「市営住宅の立つ土地」、②旧町道から県道に「幅を広げる為に要する土地。③「大堤オオツツミ」(の土地)。④田んぼから大堤へつながる土地3mx40m水路も含めたもの)。名目は島根県の「県道」を作る為の費用であるが、県が「土地買収」を「三隅町」に「まる投げ」にした為、「横領」事件が起きてしまった。金額は「2億200万円」。横領者は「建設課長」を筆頭に「町長、助役、収入役、財政課長」。市営住宅を手掛けた建設業者。脅され書類を改纂し、自殺した法務局職員。「目に見えない土地」とは、「大堤」のことで、所有者も気づかなかった物件。浜田藩は「藩主は江戸で老中職であったが、藩財政は「火の車」。と言うのは浜田城下で三度の「大火」と江戸屋敷も二度もらい火で「類焼の憂き目を」そして十年続きの飢饉など不作が襲い掛かった。「青原・原田家(初代勘四郎)」へもお金の無心が行われ、ついに「寛政年間に古市場」へ移住してきている。この大堤は(2代)勘四郎の弟で「初代清茂と清右ェ門」で作り上げたもの。奇しくも「清茂」は寛政12年(西暦1800年)に亡くなっている。江戸・寛政時代に技術の粋を集めてつくられた遺跡である。城堀のような石垣づくり・頑丈で200年以上たつが、今も健在。当時千両や二千両はかけ造られたものと想像する。できれば、「世界遺産」にしてほしいものだ。
 

民俗・歴史を中心に「見る 読む 研究」

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 8月24日(金)01時36分13秒
返信・引用 編集済
   お盆までに①「鎌倉遺文」と②折口信夫オリグチシノブ全集」を終了。

引き続き③「会津屋八右衛門(寛政六年生まれ)と「本居宣長モトオオイノリナガ」藩主をはじめとする弟子たちの動向と密貿易の研究調査。

④中国山地の「サンショウウオ」の文献と「コウモリ」の生態系の研究。

⑤近世江戸時代の呉市・浦刈町作成の朝鮮通信使の文書・文献と「古事類苑・外交部」文献の調査研究。

⑥津和野町青原アオバラの「原田家」のその後と津和野藩と浜田藩の借入金とその精算の行くへの研究。
*浜田藩は初代勘四郎より借りたお金は、周布・鍋石村「一ノ瀬鉄山・経営」と「三隅町古市場フルイチバの土地」を代償としている。寛政年間に移動(青原~古市場)。原田家の財産分野は、二代目「勘四郎」が鉄山。弟「清茂」が、古市場の「墾田開発」。津和野藩は「原田家」の借入金を、激動の「明治維新」の中で、踏み倒している。

◎参考までに寛政12年が西暦1800年。
 

原田家系図改

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 8月17日(金)13時00分42秒
返信・引用
  系図「郷土石見2018,108号」P30「原田庄屋の御用達金」登米茂行トヨネシゲユキ投稿分。  

原田家系図

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 8月 8日(水)13時35分10秒
返信・引用
  ①清水山禮光寺作成の原田家(分家・角ノ部屋)過去帳写し。
②原田家推定家系図。
*日原町史・過去帳・原田家代々の伝承・岡本潤氏の歴史研究分をもとに推測したもの。
 

原田家家系図

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 8月 8日(水)13時19分21秒
返信・引用
  ②は過去帳、日原町史、岡本氏歴史研究分、原田家代々の伝承をもとに作成。  

民俗・歴史を中心に「見る 読む 研究」

 投稿者:chikara  投稿日:2018年 7月26日(木)00時34分8秒
返信・引用
  *洋泉社MOOK 別冊 歴史REAL「江戸の暮らし」洋泉社2016
*「続続 伊東家の食卓 裏ワザ大全集 21世紀版」日本テレビ放送網2001 俳優の伊東四郎(てんぷくトリオ・お笑いからスタート)。
*「民俗学の旅」宮本 常一ミヤモトツネイチ∥著 講談社1993
*「忘れられた日本人」宮本 常一∥著 岩波書店1995 P260~281田所村 田中梅治「粒々辛苦リュウリュウシンク」。
*「山の道」宮本 常一∥編著 八坂書房2006
*「狩猟の民俗」民俗民芸双書 96 佐久間 惇一サクマジュンイチ∥著 岩崎美術社1985
*「山代巴 中国山地に女の沈黙を破って」著 小坂裕子 家族社2004
*「私の道」 瀬戸内の潮騒に育まれて 著 平山郁夫 広島県豊島郡瀬戸田町1992
*「法恩地南古墳 広島県・甲田町」」広島県埋蔵文化財調査センター1984
*「宮島の歴史と民俗 NO12 1993」宮島町立宮島歴史民俗資料館1995
*「宮島の歴史と民俗 NO14 1995・1996」宮島町立宮島歴史民俗資料館1998
*「日本の美術13  城と書院」著 平井聖 平凡社1965
*「隠居の日向ヒナタぼっこ」著 杉浦日向子スギウラヒナコ 新潮社2005
*「杉浦日向子の食・道・楽」著 杉浦日向子 新潮社2006
*「山のきもち 森林業が[ほっとする社会]をつくる 第2版」著 山本悟 東京農大出版会2017
*「戦国番狂わせ七番勝負 文春文庫 き44-51」著者 高橋直樹タカハシナオキ 木下昌輝キノシタマサキ 佐藤巖太郎サトウガンタロウ 箕輪諒ミノワリョウ 天野純希アマノスミキ 村木嵐ムラキラン 岩井三四二イワイミヨジ 文藝春秋2017
*「若冲ジャクチュウ」著 澤田瞳子サワダトウコ 文藝春秋2015 山城国・京 伊藤若冲 江戸後期の狩野派で世に二つとない絵を描く画人。池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭…絵師たちの運命が京の都で交錯する。『オール讀物』掲載作品を単行本化。
*「広島県の不思議事典」編者 松井輝昭マツイテルアキ 池田明子イケダアキコ 新人物往来社2004
*「歴史の風景眺めてみれば 鳥瞰図チョウカンズの世界」広島県立歴史民俗資料館2011
*「日本の食生活全集34 聞き書 広島の食事」農山漁村文化協会1987  編集委員・執筆者 神田三亀男カンダミキオ 山根郁子ヤマネイクコ 平川林木ヒラカワリンボク 山崎妙子ヤマザキタエコ。
*「宮本常一写真図録 瀬戸内海の島と町」周防大島文化交流センター 写真 宮本常一 監修 森本孝 みずのわ出版2007
*「剣客商売 春の嵐 新潮文庫」著 池波正太郎 新潮社1993
*「剣客商売 天魔 新潮文庫」著 池波正太郎 新潮社1988
*「剣客商売 番外編 ないしょ ないしょ」著 池波正太郎 新潮社2003
*「図解・江戸の四季と暮らし 決定版 歴史群像シリーズ」監修 河合敦カワイアツシ 編集 碧水社 学習研究社2009  執筆 河合敦,橋場日月,池田公一,時野佐一郎,中西立太,相原葉子。
*「古事記・日本書紀」新潮古典文学アルバム 1 編集・執筆 神野志隆光 エッセイ 大庭みな子 新潮社1991
*「古事記 歴史が語る“日本のあけぼの”」ビジュアル版 日本の古典に親しむ④ 編集 井澤豊一郎 岡田知也 世界文化社2006
*「埋葬からみた古墳時代 女性・親族・王権 歴史文化ライブラリー 465」著 清家章セイケアキラ 吉川弘文館2018
*「歴史紀行瀬戸内の海賊衆」著 森本繁 山陽新聞社1984
*「広島県の峠を歩く」著 大坂佳照 文芸社2008
*「中国横断自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(1) 広島県埋蔵文化財調査センター調査報告書 第90集」広島県埋蔵文化財調査センター1991
*「ひろしま県史協 広島県郷土史研究協議会機関誌 第32号」広島県郷土史研究協議会2013
*「広島県の自然と野生生物 レッドデータブックひろしま」中国新聞社1995
*「ひろしま野鳥図鑑 増補改訂版」日本野鳥の会広島県支部∥編著 中国新聞社2002
*「広島湾発展史 地域活性化の根源を探る 歴史が語る未来の広島」長野 正孝∥編著 中央書店1982
*「昔話の源流」著 稲田浩二 三弥井書店1997  6110081376 八千代図書館特設用。
*「人づくり風土記 全国の伝承江戸時代 ふるさとの人と知恵34 広島」加藤 秀俊∥ほか編纂 農山漁村文化協会1991
 

レンタル掲示板
/39